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もみじの名所用作(ゆうじゃく)公園 「用作」という」地名は、鎌倉時代に大友能直の八男能郷が志賀姓を名乗り、隣接地背子に地頭屋敷を構え、その所有する用作田がなまって伝わったものです。文禄3年(1594)中川秀成が岡藩主として入府し、岡藩が統治することになりました。 寛文4年(1664)藩主中川久清より岡藩第一家老中川平右衛門に参勤交代道に当たる重要な当地を与え、別荘地としました。中川平右衛門はこの地に書院造の屋敷を構え、全山楓と松を植え、心字池、丹字池を作り、さらには射撃場を作り洋風訓練の場としました。また岡城の表玄関として文人墨客の来訪も多くなり南画家「田能村竹田」や儒学者「頼山陽」も訪れ岡藩の御客屋としての役割も果たしました。 現在は町有地として、保存と活用に努めています。 朝地町 |
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心字池と丹字池 「用作」は地頭の用作田であったので湧水が多く、その一角に中川平右衛門が別宅を設けたおりに、湧水を利用した池を作りました。 上の池は草書体の心を形どった「心字池」といい円満な心を願い、下の池は真心、誠という意味を含めて「丹字池」といいます。 平右衛門は、心・丹のニ池を作らせ日常修行の糧にしました。昔は数本の松の巨木が池の上にさしかかり、松の緑ともみじが池面に映え素晴らしい眺めでした。惜しいかな戦時中の用材供出と、松くい虫のため姿を消してしまい、往時の面影はなくなってしまいましたが、紅葉の楓だけは今なお往時を物語っています。また、池に繁茂する菱は「鬼笛」として子供に珍重がられています。」 朝地町 |
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![]() 6日にも訪れましたが、今日もまだ緑の葉が目立ちました。 2.おたまや公園へ |