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馬渓橋 有形文化財 「往時日田代官道(戸原側)と中津藩道(平田側)の往来は、夏は渡し舟、秋冬春は仮橋が架けられていた。しかし、仮橋は山国川の増水のたびに流されその都度、両岸の住民の出夫で修復されていた。 大正3年この橋より12m下手に下城井橋が架けられたが、これも大正11年4月の大洪水で流失。 そこで、約12m上流に現在の眼鏡橋に架け替え橋名を馬溪橋と変更し現在に至る。 山国川に架かる石積アーチ式の橋の中で三大名橋のひとつに数えられ、貴重な橋である。 なお、馬溪橋上から見る向かいの平らな山は史跡として指定されている平田城址(白米城址)で黒田騒動で福岡藩52万石を支えた筆頭家老栗山大膳が生れ育った城として有名である。が、城としての遺構は残っていない。春は桜・秋は紅葉の名所として住民の憩いの場となっている。」 中津市教育委員会 17.羅漢寺橋へ |