7,630 8.巌橋 2015.05.04 1.時光寺南橋 2.時光寺入口橋 3.時光寺門前橋 4.一乗寺門前橋 5.三口町の石橋 6.念仏橋 7.羅漢寺の仁王像 8.巌橋 9.辻川山公園下橋 10.辻川山公園の石橋 11.柳田國男生家 12.旧神崎郡役所 13.西野の石橋 14.弥勒寺御幸橋 15.八葉寺弁天堂前橋 16.相坂の煉瓦アーチ 17.佐伯神社参道橋 18.姫路城 19.北条天満宮天神橋 20.北条天満宮弁財天社前橋 21.眞行寺門前橋 22.亀山御坊本徳寺玄関前橋 23.亀山御坊本徳寺庭園橋 24.英賀神社厳島社前橋 25.英賀神社遥拝所前橋 26.英賀神社遥拝所北橋 27.英賀神社境内橋1 28.英賀神社境内橋2 29.今在家の石橋 30.真教寺断虹矼 31.才橋梁 32.西宝寺門前橋 33.西宝寺東門前橋 34.大覚寺観音堂前橋 35.旧石棺橋 36.吉備神社南西橋 37.斑鳩寺東門前橋 38.上太田民家前 39.教福寺門前橋 40.町田の石橋 41.小宅神社参道橋 42.小宅神社南東橋 43.矢野勘治記念館前橋 44.中霞城の石橋 45.武家屋敷資料館前橋 46.武家屋敷資料館東小橋 47.大師堂前橋 48.即應寺門前橋 49.養久の石橋 50.宝積禅寺池橋 51.正治大明神前橋 52.宮本の石橋 53.加茂神社参道橋 54.加茂神社前橋 |
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神崎郡福崎町西田原 橋長:5.5m 橋幅:4.7m 2径間桁橋 |
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巌橋 「『辻川の南を岩尾川(雲津川)という綺麗な細い川が流れている。北条の方から来る所に橋があり、その橋は私の見ている間に石橋にかけ代えられたのでよく知っている。それは姫路から来る国道がついた時のことであった。』(『故郷七十年』より) 柳田國男さんの辻川の思い出の中に巌橋があります。明治6年(1873)以降、この道は馬車道(飾磨『姫路』〜生野)として整備されました。その頃に石橋にかけ代えられた事を記しています。その後、道や雲津川の歴史の中で石橋の幅が広がりアスファルトがひかれたりと幾度となく変遷をとげてきました。 平成11年度の雲津川の改修時には川幅が広がり、元の場所に残す事が出来なくなりました。部材は保存しておき、このたびの整備に合わせて石橋を移設復元しました。安住の場として國男さんゆかりの辻川の地に・・・」 平成13年3月 福崎町教育委員会 |
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柳田國男生家の下の池に移設されています |
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側面 |
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側面 |
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河童の河太郎と河次郎 「福崎町には、市川という大きな川が流れています。 この川の岸に駒ケ岩という大きな岩がありますが、そこには以前、河童の兄弟、兄の河太郎(ガタロウ)と弟の河次郎(ガジロウ)が住んでいました。二匹は、川へ水遊びにやってきた子どもの足を掴んで引きずり込み、『尻子玉』を抜いてしまうのです。 やがて、子どもたちは河童を怖がって誰も駒ケ岩で遊ぼうとしなくなりました。二匹の兄弟は、自分たちのせいだと後悔しました。 ある日、みんなの寝静まった夜、河太郎たちは柳田國男先生に謝ろうと、駒ケ岩から生家のあるこの辻川山公園にやってきたのです。 二匹は柳田國男先生に会いたくて、毎日毎日この池で待っていま した。 兄の河太郎は池のほとりで、弟の河次郎は皿が乾くと困るので池の中で、それぞれ待つことにしました。 二匹は、何年も何年も柳田国男先生を待ち続けました。 とうとう兄の河太郎は頭の皿の水がなくなって、固まって動けなくなってしまったのです。 こうして河太郎は、池のほとりで動けなくなったまま、今も巌橋の方を見て柳田國男先生の帰りを待っているのです。 一方、弟の河次郎は池の中にいたので、今でも池の中から出てくることがあります。池の中をずっと覗いていると、尻子玉を抜かれるかも知れませんよ? ※この物語はフィクションです。」 9.辻川山公園下橋へ |