17.鹿父神社

2015.07.19

1.永野田の田の神1 2.史跡国司塚 3.永野田の田の神2 4.永野田の青面金剛 5.大牟礼の田の神 6.県道68号線から中岳・八山岳方面 7.県道562号線から指宿方面 8.雄川の滝 9.久保の田ノ神 10.鬼丸神社仁王像 11.中興院跡の庚申塔 12.入定石龕塔 13.雄川の仁王像 14.宮原若宮神社の仁王像 15.園林寺跡仁王像 16.栗之脇の田の神 17.鹿父神社 18.赤瀬川の石塔 19.お茶亭跡 20.花瀬神社の仁王像 21.大川の田の神 22.馬籠の庚申三層塔 23.川田代の田の神 24.錦江町福祉センターの田の神 25.天神の田の神

肝属郡南大隅町根占横別府




鹿父神社
「御祭神
社は大浜と横別府現在地と二社あったが大浜の社は宝暦年間以前に現在地の社に合祀したと伝えられる。祭神は開聞権現で、杖聞神社の分神とされている。
鹿父神社名前の由来
神社の名前の由来について、昔は地方にかわいい女の子が生まれると、その女の子をお妃として献上するならわしがあったそうです。そんな時代にある家にひとりの美しい娘が生まれました。その娘は大きくなるにつれて、地方一の美しい娘に成長したのです。そこで氏子は、娘を時の天智天皇のお妃として献上しました。お妃となったこの娘はいつどんな時でも足袋をはいたままで絶対に脱ぐことがなかったそうです。この様子をご覧になって不思議に思われた天皇は、ある雪の朝雪ふみをやらせました。ところが大変不思議な事にお妃の歩いた足跡は なんと鹿の足跡そっくりだったそうです。そこで驚かれた天皇はこのお妃を生涯の荷物と一緒にオツワ舟に乗せて沖に流されました。そしてこの舟が流れついたところが大浜海岸であったと云われています。
お妃の足跡が鹿の足跡であったところからその父親はおそらく鹿であったろうと言う事で鹿父神社と命名されたと云われております。」
鹿父神社に立ち寄りました

入口の随身

社殿
18.赤瀬川の石塔へ