2.史跡国司塚

2015.07.19

1.永野田の田の神1 2.史跡国司塚 3.永野田の田の神2 4.永野田の青面金剛 5.大牟礼の田の神 6.県道68号線から中岳・八山岳方面 7.県道562号線から指宿方面 8.雄川の滝 9.久保の田ノ神 10.鬼丸神社仁王像 11.中興院跡の庚申塔 12.入定石龕塔 13.雄川の仁王像 14.宮原若宮神社の仁王像 15.園林寺跡仁王像 16.栗之脇の田の神 17.鹿父神社 18.赤瀬川の石塔 19.お茶亭跡 20.花瀬神社の仁王像 21.大川の田の神 22.馬籠の庚申三層塔 23.川田代の田の神 24.錦江町福祉センターの田の神 25.天神の田の神

鹿屋市永野田町




史跡国司塚
「奈良時代、和銅六年(714)に、大和朝廷は日向の国から大隅を割いて分国した。
 国衙(国の役所)を国分に置いて、初代国司陽候史麻呂を任命した。養老四年(720)、陽候史麻呂が国内巡検のため鹿屋に入った。現在の市役所後方の丘(現在は消滅)を国司山(国司城)と呼んでいる。大隅隼人がこれを急襲した。国司側はようやく包囲軍の一端を切り開いて、大姶良方面へ逃げたが、追って来た隼人軍と今の星塚あたりで戦い国司方は次々と倒れた。国司は下の名貫川尻を渡って早馬が丘に駆け上がった。そして馬をここにつなぎ自殺を試みたが死にきれず、下の泉にすべり降りて水を飲み、そのまま息絶えたという。その場所がこの地であると伝承されている。
 永田家の氏神はこの国司どんの山であるという。
 例祭は旧暦十月中丑の日の丑刻から祭典が始まる。祝詞は黙読であげられ、金幣十八本、紙幣三十六本を供える。さらに永田家では餅三百六十五個を供える。
 同家では、千二百年間こうして祀ってきたという。」

平成十九年三月
鹿屋市教育委員会
道路脇に石碑と案内板

奥の方に

国司塚
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