7,578
16.日野神社参道橋
2015.05.03

1.明石海峡大橋 2.西宮神社瑞寶橋 3.西宮神社3連桁橋 4.西宮神社桁橋1号 5.西宮神社桁橋2号 6.西宮神社桁橋3号 7.西宮神社嘉永橋 8.西宮神社西桁橋 9.西宮神社祈祷殿前橋1 10.西宮神社祈祷殿前橋2 11.六甲山鷲林寺弁財天前橋 12.甲山鷲林寺庭園橋1号 13.六甲山鷲林寺庭園橋2号 14.上ヶ原八幡神社参道橋 15.甲武橋西詰レンガ橋梁 16.日野神社参道橋 17.熊野神社参道橋 18.熊野神社東橋 19.新堀川橋梁 20.庄川橋梁 21.天道町桁橋 22.平松橋梁 23.東皿池橋梁 24.三条八幡神社参道橋 25.三条南町の石橋 26.東味泥川橋梁 27.金田橋梁 28.狼郡架道橋 29.敏馬神社参道橋 30.相楽園 31.相楽園北橋 32.相楽園船屋形北橋 33.相楽園又新亭東橋 34.相楽園浣心亭西橋 35.相楽園東屋前橋 36.相楽園東屋北橋 37.相楽園松林東橋 38.相楽園松林西橋 39.須磨寺 40.須磨寺護摩堂東橋 41.須磨寺宝物館前壱の橋 42.須磨寺宝物館前弐の橋 43.貞照寺前橋 44.須磨寺櫻寿院前橋 45.貞照寺前小橋 46.須磨寺千手観世音菩薩前橋 47.須磨寺本坊庭園橋 48.織田家長屋門前橋 49.明石公園乙女池東橋 50.明石公園乙女池西橋 51.明石公園乙女池北橋 52.清冷山薬師院参道橋 53.五社大神社参道橋 54.高畑の石橋1 55.高畑の石橋2 56.高畑薬師堂参道橋 57.霊光山長松寺門前橋 58.諏訪神社弁才天前橋 59.常楽寺庭園橋 60.最勝寺地蔵堂前橋 61.日岡神社参集殿前橋 62.稲日太郎姫命日岡陵入口橋 63.高砂神社稲荷社前

西宮市日野町2

橋長:1.4m
橋幅:2.7m
桁6列
単径間円弧桁橋




日野神社御由緒
「御創祀
御創建については、慶安年間(1361年)に和泉・摂津に勢力を揮った大名・河原林弾正左衛門が瓦林城の守護神として勧請したとも、河原林氏が瓦林城を累代の居城とするに当り、荘園時代以前から既に鎮座していた地域の鎮守社である当社を守護神として祀ったとも伝えられる。

御神徳
主祭神の天照大神は、最も高貴なる伊勢の神宮の内宮御正殿にお祀り申し上げる。皇室の御遠祖にして日本国の総氏神であらせられる。国民生活の基である衣食住を整えられ、太陽に比定されて遍く人々を照らし育まれる日の大神である。天照皇大神の存在なくしては、八百万の神々は即ちそのカと秩序を失い、世界は混沌の極みへと陥る、真に神々を神々足らしめる大御神である。
東殿に配祀申し上げる春日大神は、常筆を極めた祭祀氏族出身の藤原氏の氏神にして、奈良の春日大社、香取・鹿島両神宮に祀られ、文神としても武神としても名高い。西殿に配祀申し上げる豊受大神は、伊勢の神宮外宮御正殿に祀られる衣食住を司る御餞都神(食物神)にして、その御神徳により稲荷大神と同神とされる。
御沿革
戦国の浮沈の中、瓦林城の廃城間もない十七世紀初頭には、既に境内に宮守虎爪山神宮寺が開基され供僧が常住していたことが知られ、土着した河原林(瓦林)氏や地域の住民によって旧瓦林荘(廣井庄)・旧瓦木村全域の総氏神として、大東亜戦敗戦後に至るまで近隣他社に優越して鄭重に尊崇されてきた。
現在は穏やかな流れの武庫川も昔は大変な暴れ川で当社も度重なる氾濫の影響を受けてきた。慶長年中(1596〜1615年)には神殿が兎原郡脇の濱まで流され、氏子困窮の中、寛永元年(1624年年)に瓦林忠左衛門が本願人となり遂に再建する。覚文十一年(1671年)には大規模な建替を行い、その後も度重なる氾濫を乗り越え、九〜ニ十ニ年毎の修理を経て守られてきた。
平成七年(1995年)の兵庫県南部大地震による被災で、永らく補修が行われていなかった旧社殿・社務所等は全潰し、末社・授与所・鳥居等も大きな災害を受けた。
震災後は仮殿にて祭祀の巌修を図ってきたが、平成二十ニ年(2010年)に現在の神明造の新社殿を始め社務所(授与所)・手水舎が再建され、末社・鳥居の改修、境内整備が氏子崇敬者の浄財を得て叶い、面目を新たにした。」
参道を進むと注連柱前に架かっています

側面

境内から
17.熊野神社参道橋へ