30.相楽園 2015.05.03 1.明石海峡大橋 2.西宮神社瑞寶橋 3.西宮神社3連桁橋 4.西宮神社桁橋1号 5.西宮神社桁橋2号 6.西宮神社桁橋3号 7.西宮神社嘉永橋 8.西宮神社西桁橋 9.西宮神社祈祷殿前橋1 10.西宮神社祈祷殿前橋2 11.六甲山鷲林寺弁財天前橋 12.甲山鷲林寺庭園橋1号 13.六甲山鷲林寺庭園橋2号 14.上ヶ原八幡神社参道橋 15.甲武橋西詰レンガ橋梁 16.日野神社参道橋 17.熊野神社参道橋 18.熊野神社東橋 19.新堀川橋梁 20.庄川橋梁 21.天道町桁橋 22.平松橋梁 23.東皿池橋梁 24.三条八幡神社参道橋 25.三条南町の石橋 26.東味泥川橋梁 27.金田橋梁 28.狼郡架道橋 29.敏馬神社参道橋 30.相楽園 31.相楽園北橋 32.相楽園船屋形北橋 33.相楽園又新亭東橋 34.相楽園浣心亭西橋 35.相楽園東屋前橋 36.相楽園東屋北橋 37.相楽園松林東橋 38.相楽園松林西橋 39.須磨寺 40.須磨寺護摩堂東橋 41.須磨寺宝物館前壱の橋 42.須磨寺宝物館前弐の橋 43.貞照寺前橋 44.須磨寺櫻寿院前橋 45.貞照寺前小橋 46.須磨寺千手観世音菩薩前橋 47.須磨寺本坊庭園橋 48.織田家長屋門前橋 49.明石公園乙女池東橋 50.明石公園乙女池西橋 51.明石公園乙女池北橋 52.清冷山薬師院参道橋 53.五社大神社参道橋 54.高畑の石橋1 55.高畑の石橋2 56.高畑薬師堂参道橋 57.霊光山長松寺門前橋 58.諏訪神社弁才天前橋 59.常楽寺庭園橋 60.最勝寺地蔵堂前橋 61.日岡神社参集殿前橋 62.稲日太郎姫命日岡陵入口橋 63.高砂神社稲荷社前 |
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神戸市中央区中山手通5丁目3 |
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相楽園 「相楽園は、本市都市公園のうち唯一の日本式庭園であって元市長小寺謙吉氏の先代小寺泰次郎氏が明治18年頃築造に着手し、明治末期に完成したものである。 庭園の様式は、廻遊式林泉園で、加えて明治時代欧米化の影響を受けて広場も併設されている。 当時、一般からは『小寺邸』または『蘇鉄園』と呼ばれていたが、昭和16年3月神戸市へ譲渡され同年11月から『相楽園』として一般公開されている。 戦前には園内に豪壮な本邸その他付属建物があったが第二次大戦により焼失し旧建物としては、欧風スタイルの厩舎(昭和45年6月重要文化財指定)、塀及び各門が名残をとどめている。 その後、旧ハツサム住宅(昭和36年6月重要文化財指定)、相楽園会館、茶室(昭和38年10月完成)などが建築され、また昭和55年3月には牛尾氏より寄付のあった船屋形(昭和28年8月重要文化財指定)の移築が行われ、往時にまさる景観が見られるようになった。 なお、園内には楠の大木、蘇鉄林、大燈龍が今なお雄大な景観を保っている。敷地面積は、19,566平方メートルである。」 |
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遠くのコインパーキングに駐車して歩きました |
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旧小寺家厩舎 重要文化財(昭和45年6月17日指定) 「この建物は、相楽園の所有者であった元神戸市長小寺謙吉氏が明治43年頃に厩舎としてこの地に建てたもので、園内に残る創建当初の数少ない遺構の一つです。 構造は、煉瓦造りの一階に木造の小屋組をのせたドイツ風の重厚な造りで、正面一階は馬車庫、二階は厩務員の宿舎、東側は吹抜けの高い天井をもつ馬房になっています。 これだけの規模と構造をもつ厩舎は全国でも例がなく、設計者河合浩蔵(明治・大正期官庁建築を中心に関西で活躍した建築家。神戸地方裁判所も彼の作品。)の代表作の−つに数えられるものです。 昭和55年には建物の詳しい設計図が約60枚も見つかり、貴重な資料として建物とともに重要文化財に指定されました。」 |
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旧ハツサム住宅 重要文化財(昭和36年6月7日指定) 「この建物は、インド系イギリス人貿易商J.K.ハッサム氏が、明治35年に自邸として建てたものです。かつては中央区北野町にありましたが、昭和38年にこの地に移築されました。 中央廊下をはさんで両側に居室を配して、前面にべラングをとり、さらに渡廊下で後ろの付属室と結ばれています。この形式はコロニアルスタイル(植民地形式)と呼ばれ、明治時代神戸で活躍した外国人たちの住宅(異人館)の特徴をよく伝えています。 北野町時代は一階、二階ともベランダ部分には全部ガラス窓が蕨め込まれていましたが、移築にあたってすべて開放して建築当初の形に復原しました。 なお旧ハッサム住宅は、主屋の他付属屋、倉庫、東門が重要文化財に指定されています。」 |
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船屋形 国指定重要文化財 「建造年代 江戸時代前期 指定年月日 昭和28年8月29日 この建物は、江戸時代に姫路藩主が河川での遊覧用に使っていた川御座船の屋形部分です。江戸時代の末まで水上に浮かんでいましたが、明治初年に飾磨港付近から高砂に移され、この時に屋形だけが陸上げされ、茶室として利用するために船框から下を継ぎ足したものと思われます。その後、昭和16年に前所有者である牛尾吉朗邸(神戸市垂水区舞子)へ移築され、昭和53年に同氏より神戸市が寄贈を受け、この場所に移築したものです。 木部は内外共すべて漆塗で、木肌の見える春慶塗と重厚な黒漆塗とに塗りわけ、長押や垂木の先端などに金箔を施した飾り金具を打ち、また建具の桟を黒漆、その間を金箔押しとするなど非常に華麗に、しかも繊細な造りとなっています。 建造年代は、飾り金具の家紋の痕跡から、本多侯が入封した天和2年(1682)から宝永元年(1704)の間と推定されます。 江戸時代、西国諸大名は参勤交代のために競って御座船を造りましたが、現存するのは数少なく、なかでも川御座船としてはこれが唯一のものです。」 平成11年12月 神戸市教育委員会 |
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庭園 31.相楽園北橋へ |