願蔵寺
2005.10.16

都城市前田町




 福島郷土史には一之瀬水路について以下の記述があります。
「明治の末期に井堰、用水路、水田等を開発したのは大束地区の一之瀬である。この工事は、愛知県の人大谷派本願寺の布教徒として都城に来たり、願蔵寺という寺を建立住職となり、たまたま大束に来たり、その荒涼たる原野を見て水田開発を思い立った。併し資金困難の状を察し、自ら資金を調達することにした。地主一同は感激して完成の暁には耕地の四分を代償することを約していよいよ工事を始めた、しかるに難工事であったため、その辛苦は一方ではなかった。これを見て、僧加藤氏は自ら人夫と交わり、ツルハシを振り、モッコを担いだりして大いに労役を励んだ、遂に明治40年4月、大矢取の上流を横断石造堰が出来た」
 
串間市の真萱水路橋は、この水路が通っています。詳細について知りたくて願蔵寺を訪ねました。
願蔵寺は都城市前田町にあります。受付で一之瀬水路のことを話すと、すぐに奥の部屋に通され、一之瀬開田に尽力された願蔵寺の開祖、加藤無染師のお孫さんにあたるご坊守、加藤代々子様から詳細かつ丁寧に説明を受けました。

 串間市一之瀬地区では加藤無染師は現在でも無染様と呼ばれ尊ばれているそうです。無染師は昭和2年6月2日に亡くなられ、代々子様は翌年2月のお生まれだそうです。
「3人姉妹の末っ子の私がこのような名前を受け、お寺を受け継いでいるのも何かの因縁を感じています。」とお話されています。

東本願寺 真宗大谷派 願蔵寺

鐘楼

加藤無染師

井上円了博士の言葉は、掛軸として残っています
「無染法師有道縁大堂
構得日南邊身持ニ諦眞
兼俗開拓農田興佛田」