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鶴田の庚申塔 県指定文化財 「干支の庚申の年や日に行なわれる信仰行事の一つで、頭・胸・足についている三尸の虫が、天帝に罪などを告げるのを防ぐため、その夜は身を慎む中国の道教が、日本で仏教化したものが庚申信仰である。 仏教では、青面金剛明王を本尊とし県内では、大永3年(1523)(室町時代)頃から、僧侶を中心とした信仰が武士や農民に広まっている。 この庚申塔は、県内では三番目に古く、しかも、角五輪塔は極めて珍しいとされ、中世庚申塔の代表的なもので、天文3年(1534)(室町時代)小春に、26人の修験僧などによって建てられている。 特に「上章??星」の文字は、庚申塔文化を考える上から貴重なものである。 なお、南の小高い丘は鶴田城跡であり、北側の丘には寺跡が確認されている。」 鶴田町教育委員会 |
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神興寺僧侶の墓石群 町指定史跡 「紫尾山祁答院神興寺歴代住職たちの墓石である。最も古いのは応永22年(1415)の芸全僧正のもので一番大きなものは当寺中興の憲春大僧都(天正18年、1590)のものである。又再興の快善権大僧都(元禄2年、1689)の墓石は上段にある。墓石は上段に十数基、下段に三十余基、北側に十余基総数約六十基が現存している。」 鶴田町教育委員会 |
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町石 町指定文化財 「紫尾権現にお詣りする信仰者の便を図るために、信者や修験僧らが寄進した一町目(約300m)毎の道しるべとして建てた石の五輪長足塔婆(供養塔)である。 五輪塔の地輪(方柱)に神社までの町数(距離)のほか、梵字や寄進者名が彫刻されていたようである。 これは七号町石、紫尾神社まで700mということで、近くの六号町石には、方柱の上部に梵字の痕らしいものと、石に「芳情安芸守伴兼雄」中央に「六町□□」左に「永禄六年(1563)(室町時代末期)六月二十八日」の刻字がある。 町石は、古紫尾神社から紫尾神社までの4キロに建てられていたとのことであるが、現在は十四、五基が発見されており、どの町石も空風火輪(冠石)はなくなり、方柱上部の梵字が削り取られている。」 鶴田町教育委員会 |
向江の田の神様 鶴田町 |
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大角の田の神様 鶴田町 |
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那羅延金剛 口を閉じた吽形の像 西原八幡神社仁王像 大口市 |
蜜迹金剛 口を開いた阿形の像 西原八幡神社仁王像 大口市 |
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田の神様 大口市 |
新納家墓地(銀杏の下、16基) |
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三州谷の大欅 薩摩、日向、肥後の堺をなす三州の渓谷に高々とそびえる大欅。古来より人々に崇められて来た愛樹である。 この間根ケ平国有林の中で最古のもので樹齢推定千年に達し大人五人で 抱きかかえる大樹として今も矍鑠たるものがある。 左の渓谷(欅谷)三〇〇米上流には滝また滝に連なる山岳滝や山岳渕がある。 この欅の大きさは 一.樹高 四一.〇〇米 一.胸高周囲 八.一〇米 一.胸高の直径 二.五八米 一.根廻り周囲 二五.五〇米 一.材積 五五.九〇立方米 大口市教育委員会 |
中内竪梅木の田の神さあ像 宮崎県えびの市真幸中内竪梅木 「享保十年(1725)」の刻銘あり 円形の台に腰掛けた束帯姿の神官型の田の神 |
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