石橋巡り
(2005年1月2日〜3日)

2.長崎市 中島川
(下流から順に)
(袋橋・眼鏡橋・東新橋・すすき原橋・一覧橋・古町橋・編笠橋・大井手橋・桃渓橋・鎮西橋)



1.南有馬町〜加津佐町〜小浜町〜長崎市その1

3.長崎市 その3

4.長崎市その4〜脊振村〜荒尾市〜玉名市

5.道中で見たもの
その1
その2



袋橋 長崎市栄町‐古川町

中島川
橋長:19.4m
橋幅:4.4m
架設:不詳

「中島川の第11橋。この橋は記録がなく、架設月日、架設者とも不詳。中島川の下流の石造アーチ橋では、眼鏡橋につぐ古い石橋との説もあるが、確証はない。しかし、享保6年(1721)閏7月以降、度々の洪水にも流失を免れており、壁面を整然と積む、長崎型石造アーチ橋の形態を良く残している。この橋は、袋町橋とも呼ばれたが、明治15年に袋橋と命名された。」
案内板より




長崎眼鏡橋 
国指定重要文化財 日本百名橋

中島川
橋長:23.0m
橋幅:4.7m
架設:寛永11年(1634)





東新(ひがししん)橋 長崎市魚の町‐諏訪町

中島川



「中島川の第8橋。最初、石造アーチ橋が寛文13年(1673)に架設されたが(架設者不詳)、享保6年(1721)閏7月の洪水で流失した。昭和57年7月の洪水で流失した石橋は、この位置では3度目の石造アーチ橋で、寛政12年(1800)長崎奉行所によって銀12貫目で架設されたものであった。この橋は、東に新橋町(現・諏訪町)があることにちなんで、明治15年に東新橋と命名された。」
案内板より





すすき原橋 長崎市魚の町‐諏訪町

中島川
「中島川の第7橋。最初、石造アーチ橋が延宝9年(1681)に架けられたが(架設者不詳)、享保6年(1721)閏7月の洪水で流失した。昭和57年7月の洪水で流失した石橋は、この位置では3度目の石造アーチ橋で、文化元年(1804)長崎奉行所によって銀12貫目で架けられたものであった。この橋は、今紺屋町橋などと呼ばれたが、往時、この付近一帯は草が群生していたということにちなんで、明治15年に?原橋と命名された。」
案内板より




一覧橋 長崎市桶屋町‐麹屋町

中島川




「中島川の第6橋。最初、石造アーチ橋が明暦3年(1657)高一覧によって架設されたが、享保6年(1721)閏7月の洪水で流失した。高一覧は中国人高寿覚の子で、深見久兵衛と称して唐通事(中国語の通訳)を勤め、慶安3年(1650)には大手橋(現存)を架設している。昭和57年7月の洪水で流失した石橋は、この位置では3度目の石造アーチ橋で、享和元年(1801)長崎奉行所によって銀12貫目で架設されたものであった。この橋は桶屋町橋などと呼ばれたが、最初の架設者高一覧にちなんで、明治15年に一覧橋と命名された。」
案内板より





古町橋 長崎市古町‐麹屋町

中島川



「中島川の第5橋。最初、石造アーチ橋が元禄10年(1697)河村甚右衛門の母妙了によって架設されたが、享保6年(1721)閏7月の洪水で流失した。昭和57年7月の洪水で流失した石橋は、この位置では3度目の石造アーチ橋で、享和3年(1803)長崎奉行所によって銀12貫目で架設されたものであった。この橋は古町に架かることにちなみ、明治15年に古町橋と命名された。」
案内板より




編笠橋 長崎市今博多町‐麹屋町

中島川




「中島川の第4橋。最初、石造アーチ橋が元禄12年(1699)岸村氏夫夫妻によって架設されたが、寛政7年(1795)7月の洪水で流失した。昭和57年7月の洪水で流失した石橋は、この位置では2度目の石造アーチ橋で、享和2年(1802)長崎奉行所によって架設されたものであった。この橋は今博多町が往時“あめがた町”と呼ばれたことにちなんで、明治15年に編笠橋と命名された。」
案内板より





大井手橋 長崎市大井手町‐八幡町

中島川
橋長:12.5m
橋幅:4.5m


「中島川の第3橋。最初、石造アーチ橋が元禄11年(1698)岡正敏によって架設されたが、享保6年(1721)閏7月の洪水で流失した。昭和57年7月の洪水で流失した石橋は、この位置では3度目の石造アーチ橋で、文化元年(1804)長崎奉行所によって架設されたものであった(明治44年解体修理がおこなわれ、旧石材で架設される)。この橋は、大井手町に架かることにちなみ、明治15年に大井手橋と命名された。」
案内板より





桃渓(ももたに)橋 
長崎市指定有形文化財

西山川
橋長:13.0m
橋幅:3.5m

「寛永11年(1634)最初の石橋眼鏡橋が架けられて以後、17世紀までに中島川と直交する道路筋のほとんどに石橋が架けられました。
 桃渓橋は、延宝7年(1679)僧卜意の募財により架橋された石造アーチ橋です。側にある地蔵堂を卜意地蔵といい、この橋は卜意橋とも呼ばれています。昭和57年(1982)の長崎大水害により大破しましたが、その後原形に復旧されました。」

長崎市教育委員会




鎮西橋 長崎市

西山川



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