石橋巡り
(2004年9月4日)

道中で見たもの
(庚申塔
北川町・庚申塔本匠村・滝・庚申塔臼杵市・臼杵磨崖仏・カマス・津久見の工業地帯)



1.直川村〜本匠村〜野津町〜臼杵市

2.白馬渓(臼杵市)

3.大分市〜佐賀関町〜津久見市




庚申塔 北川町




庚申塔群 本庄村




10号線沿いの滝 弥生町




庚申塔 臼杵市門前地区

 「庚申信仰は、旧暦の十干と十二支の組み合わせによって、60日に一度、庚申(かのえさる)の日が巡ってきますが、この日の夜人々は一晩中寝ずに過すため、飲食や或は碁、将棋などの遊びをして夜を明かし、健康長寿を祈るという行事です。
 これは、人間の体内には三尸(さんし)の虫がおり、庚申の夜に眠った人間の体内から抜け出て天にのぼり、天帝に人間の罪過を告げ命を縮めるといわれるため、この夜は眠らずに夜を明かし、三尸の虫が対外へ出るのを防ごうとする信仰です。
 三尸(さんし)とは上尸・中尸・下尸のことで、上尸は人の頭の中にいて首から上の部分を病気にし、中尸は人の腹の中にいて五臓を病気にし、下尸は人の足の中にいて下関を病気にするといわれています。
 この信仰は、古代中国の道教(中国の民間信仰)の影響を受け、日本では平安時代より発達してきたものです。
これらの信仰のために60年に一度の庚申(かのえさる)の年に庚申塔が造立されてきました。」

臼杵市教育委員会




臼杵磨崖仏(大日石仏)

「龕部に七体彫られているが、いずれも風化が著しい。龕の中央に位置する四体は、顔容が不明瞭であるが、丸彫り手法によって掘り出された姿からは、木彫仏を思わせるような丸味とやわらかさが感じられる。
 向かって右端に彫られている三体は比較的保存状態が良く、豊後の磨崖仏としては珍しく八頭身のすらりとした姿体をとどめている。
 製作年代は、中央四体が平安時代末期(十二世紀末頃)、右端三体は、鎌倉時代(十三世紀)の作と推定される。」

臼杵市教育委員会




カマスの干物 佐賀関町

近くにはカモメが舞い、トンビが狙っていますので、鳥よけのための鏡が下げてあります。




津久見の工業地帯