8.八勝寺
2008.03.15

1.夜の御輿来海岸 2.蕉夢庵の石橋 3.覚井の庚申塔 4.庄屋の庚申塔 5.慈願寺庚申塔 6.瀬戸口の庚申塔 7.瀬戸口の石橋 8.八勝寺 9.上里の町観音の庚申塔 10.丸尾の滝 11.白鳥温泉上湯 12.自宅からの夕焼け

球磨郡湯前町馬場




八勝寺
「当寺の来歴についてはよくわかりませんが、現在、上村の誓願寺にある鰐口を寄進した『久米上金』が十五世紀最期に再興したのではないかと推測されます。
 江戸時代になり、真言宗普門寺の傘下になっていますが、すでにお寺としての機能はなく、その後、現在まで、馬場地区によって守られてきました。
 中世城跡東方北城の麓にあり、中世の景観を今に伝えています。
八勝寺阿弥陀堂・厨子(国指定重要文化財)
「桁行三間、梁間三間で現在、茅葺きから瓦葺きになり、回縁を失っています。柱は円柱で切目長押・内法貫・頭貫で軸部を固め柱頂に台輪を乗せます。組物は出三斗で軒を支えています。頭貫や台輪先の木鼻など禅宗様式の手法による構造物で、十五世紀最期の建立と思われます。
 厨子は入母屋造板葺きで軒は二軒扇垂木・組物は三手先、下部の須弥壇など典型的な禅宗様式で建立されています。
 内部には『作者賀吽』とあり、天正年間以前の建立と思われます。」

湯前町教育委員会


八勝寺
「寺の興りはよく分かっていませんが、もと鎌倉時代の寺院跡に建立されたものと考えられています。
 また、十六世紀には人吉願成寺の眞譽が東光寺や浄心寺と共に献灯したことが分かっており、この頃は願成寺の傘下であったと思われます。
 江戸時代になり、真言宗であった普門寺の傘下となりますが、すでに寺としての機能はなくなり、馬場地区によって長い間守られていました。
 明治と大正に大きな改修が行われ、屋根が本来の茅から瓦に葺き替えられ、堂内の厨子と須弥壇が移動されるなどしましたが、部材にみられる痕跡などをもとに、平成二十四年度から二十六年度に実施した解体修理により創建から約百年後にあたる十六世紀後期の姿に復原されました。」

平成27年4月 湯前町教育委員会
8年5ヶ月ぶりの訪問

復原されていました
9.上里の町観音の庚申塔へ