5,237
11.大生寺境内四ノ橋

2010.05.15



1.寒水天満宮参道橋 2.文字社岩戸橋 3.夕月大明神参道橋 4.宮地嶽天満宮参道橋 5.朝田の石橋 6.流川地蔵前石橋 7.大生寺境内一ノ橋 8.大生寺門前橋 9.大生寺境内二ノ橋 10.大生寺境内三ノ橋 11.大生寺境内四ノ橋 12.大生寺本堂口橋 13.鎮西身延山本佛寺萬霊塔前ノ橋 14.熊野神社神池一ノ橋 15.熊野神社神池二ノ橋 16.江南の石橋 17.宮野の木橋 18.佐田高木神社参道橋 19.佐田高木神社神池橋 20.佐田高木神社末社前橋 21.佐田高木神社本殿横橋 22.田神社の桁石 23.旧八丁越の石橋(泉河内)


うきは市浮羽町流川字徳正

橋長:2.7m
橋幅:2.4m
径間桁橋




大雄賓殿
うきは市指定文化財
「この大雄賓殿は、貞亨四年(1687)に博多の名刹聖福寺より移築されたもので、320年以上を経た風雪にも耐え、いまだ法統を今日に伝えている。建築様式は、五間半四方(約98平米)の瓦葺二層建てで豪壮な仏殿である。
 本殿の本尊は薬師如来で、その歴史は古く天平三年(731)行基法師(日本初の大僧正・聖武天皇より大菩薩の戒を受けた高僧)在任中の作と伝えられている。
 なお、本殿内に安置されている賓頭盧尊者木像は、国内三体の一体といわれ、奇瑞多く、当時、九州各地より多くの参拝者をあつめていたと謂われている。
 また同じ本殿の十二神将は、永禄・天正の戦乱で焼失後、天和二年(1682)頃再現したもので、京都四条下町東洞院の、長慶なる仏師の作と伝えられている。
 ちなみに、十二神将とは、薬師如来の十二眷族(親族)を指し、十二支に配当され、本地として弥勒・大勢至・阿弥陀・観世音・摩利支・虚空蔵・地蔵・文殊・薬師・普賢・金剛手・釈迦などを称している。
 本殿正面“大雄賓殿”の額は、名僧即非の筆蹟である。」
本堂側から山手に向かって2基架かっているうちの左側

大雄賓殿前に架かっています

側面

大雄賓殿から

大雄賓殿
12.大生寺本堂口橋へ