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中松尾橋 熊本市南熊本5丁目 橋長:7.5m 橋幅:1.7m 径間:6.7m 拱矢: 架設:江戸末期 |
南熊本駅の北西250m寺田児童公園内にあります。 |
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大井手橋 熊本市九品寺1丁目 橋長:6.0m 橋幅:6.3m 径間: 拱矢: 架設:明治35年(1902) |
国道3号線、水道町交差点から県道28号線で水前寺公園方面へ。 500m先九品寺1丁目交差点を右折、130m先RKK会館前右折、190m先に架かっています。 |
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豊岡の眼鏡橋 鹿本郡植木町大字豊岡 植木町指定文化財 滑川 橋長:12.8m 橋幅:4.3m 径間:11.2m 拱矢: 環厚:0.45m 架設:享和2年(1802) 国道3号線植木町舞尾から国道208号線へ。 6.7Km先公園入口信号左折。100m先右手にあります。 |
「この石造眼鏡橋は両脚の幅11.2m、高さ4.4mある。輪石の厚みは45cmで、輪石と輪石を楔石で継いだ単一アーチ橋である。最後の行に、享和壬戌二年十月吉日の陰刻がある。年号のはっきりしている石造眼鏡橋では、熊本県内で最古の橋といわれている。 享和二年は1802年であるから、江戸時代好期にあたる。 この橋を渡り、川沿いに添って旧道があり、国道208号線へ出た所に「田原坂攻撃官軍第一線陣地跡」の石標が建っている。官軍は田原坂本道の丘の右翼及び左翼へこの川沿いの旧道を通り、本眼鏡橋を拠点に出撃して行った。 川の名は滑川といわれ、この眼鏡橋は左記有志の篤志により架橋されたと推定される。 上流側の楔石に鈴麦村田原村庄屋彦次郎、正院会所詰弥兵衛、 右同総代寿三郎、右同甚兵衛、右同良助 下流側の楔石に山本郡口川、内田手永月田村、石工理左衛門、 右同吟右衛門、右同次平、右同惣八、正院手永円台寺村、右同大平、南関手永関東村、大工嘉右衛門とある。」 植木町教育委員会 |
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滴水(たるみず)橋 植木町滴水 木葉川 橋長:6.3m 橋幅:m 径間:3.2m 拱矢:2.6m 架設:大正時代 |
国道3号線・国道208号線交差点から国道3号線を600m南下、2つ目の信号を右折。 700m先、桜井小を過ぎて右折、800m先に架かっています。 |
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正院めがね橋 鹿本郡植木町大字小野字七国 橋長:5.5m 橋幅:2.1m 径間:4.8m 拱矢:3.3m 架設:安政3年(1856) |
「安政三年(1856年)に正院川に架設されていた橋であるが、河川工事により昭和52年3月に、正院より現在地に移転して復元されている凝灰岩製。単一のアーチ橋である。幅2.1m。両脚間の幅4.8m、水面までの高さ2mである。楔石に陰刻銘がある。」 植木町 植木町役場前から町道を東へ2.3Km。左手、小野泉水公園内にあります。 |
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三十六の眼鏡橋 植木町清水 橋長:m 橋幅:m 径間:m 拱矢:m 架設:嘉永3年(1850) 鹿央町の千田村と植木町の山本村境に架かっていたもので、三十六は小字名だそうです。 植木町役場前から国道3号線を900m北上、県道3号線へ左折。4Km先右下天満宮境内にあります。 2.山鹿市へ |
石橋の由来 「この石橋は、幕末の嘉永3年(1850)山本郡下大清水村庄屋畠山理左衛門、大清水村庄屋服部甚之助、玉名郡広村庄屋木村茂四郎、江藤又左衛門によって、村内を流れる大清水川に架橋されたもので、熊本新一丁目を起点とし、植木町味取、内村、三十六を経て本橋を渡り、山鹿町、南関町を経由して筑後、筑前、豊前小倉に至る九州屈指の入道を誇り、豊前街道の呼称で、参勤交代の道として利用された。築造以来約130年間その恩恵は実に多大なものがあった。 昭和57年の水害を契機として、今般千田川河川災害関連事業により、やむなく撤去せざるを得なくなったが、先人の偉業を偲ぶためにぜひ保存したいとの強い要望があり、県の協力を得てここに復元移築したものである。 昭和59年3月」 植木町教育委員会 |