五の宮神社
「奈良時代、和銅年間に創建されたと伝えられ、祭神は罔象女神である。塩田川流域の開発に伴って、大和丹生神社の罔象女神の分霊を勧請し、塩田川水系の水神として奉祀され、五番目のお宮として祀られ、五の宮神社と名づけられた。
江戸時代には、旱ばつの時、雨乞いに霊験があるといって、近郷の人々に崇敬された。
この神社の二の鳥居は肥前鳥居で、慶安元年(1648)に鹿島三代藩主鍋島直朝(刑部大輔藤原茂継)の発願によって寄進されたものであり、鹿島藩主の崇敬が厚かったことを物語っていた。
天正4年(1576)2月、竜造寺隆信は藤津地方を支配していた有馬氏を討伐するため、神埼郡蒲田江城主犬塚弾正忠鎮家に、この五の宮神社が鎮座する森岳に築城を命じ、藤津に侵攻した。
犬塚鎮家は、森岳城を築き、有馬氏に相対し、隆信の藤津攻略に功を立て、戦功によって120町余を賞与され、この森岳城に居城した。
五の宮神社の裏側にある三基の有耳五輪塔は、この犬塚弾正忠鎮家とその側室の墓塔と伝えられている。」 |