天津(あまつ)橋
「今から180年前の文化七年(1810)岩国藩の手によって、このあたり一帯の浜に入浜式塩田が築立てられました。
塩田の中央部には潮の取り入れや、上荷船の通過のために南北に中川が掘られましたが、この橋は東西両浜を結ぶ弓張り状の橋として架けられたものです。
橋の名は市内宮本の代田八幡宮のおみくじによって天津橋と名づけられました。
橋の下には上荷船が通れるように橋脚がないところから俗に幽霊橋とよばれ、この地方の人に永く親しまれてきました。
昭和34年塩業整備法によって柳井浜も廃止塩田となり、その後埋立てられました。
往時をしのぶよすがとして、この石橋を保存しております。」
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