仁壁神社
「仁壁神社の創建年月は不明であるが、分徳実録、三代実録などの正史や延喜式神名帳にその名が見える古社である。長治元年(1104)宮の前の旧地から現地へ遷座したという。古くから周防三の宮と呼ばれている。
明応六年(1497)大内義興は九州の戦陣から帰り、五社参拝をした。五社とは、防府右田の玉祖神社・徳地の出雲神社・この仁壁神社・さらに吉備の赤田神社・大歳の朝田神社をいう。この参拝の順に一の宮、二の宮・・・というふうに呼んでいる。
永禄一二年(1569)大内輝弘の乱の時焼失したが、程なく毛利輝元によって再建された。その後正徳二年(1712)にまた焼失したので、享保五年(1720)重建された。現在の社殿がそれである。
なお、当神社には“慶長十三年二月吉日新見作”という刻名の獅子頭がある。慶長十三年は江戸時代初期(1608)にあたり、山口市の有形文化財に指定されている。」
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