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玄済寺庭園橋
2009.09.13

山口市吉敷佐畑

橋長:1.5m
橋幅:0.3m
単径間桁橋




吉敷毛利家菩提寺
玄済寺
「玄済寺は山号を黄龍山と称し曹洞宗の寺で、釈迦如来を本尊とする毛利元就の第十一子、毛利秀包が開基である。
はじめ豊浦郡豊北町に創建されたが、寛永二年(1625)秀包の孫、元包がここ吉敷に移封された時、寺もこの地へ移った。
開基秀包は元就の子として、安芸国郡山城で出生、後に小早川隆景に養われた。隆景に従って軍功があり、豊臣秀吉から偏諱を得て秀包とした。
秀吉の九州征伐に功があり、久留米城主となった。文禄の役では、碧蹄館で戦い、帰国後知行十三万石の大守となった。
関ケ原の戦いには、豊臣方の将として戦ったが敗戦後剃髪し、大阪から船で帰国途中病となり下関で没した。
三五歳。その後裔は吉敷毛利家として栄えた。
寺の後方の広い墓域に、吉敷毛利家の歴代の墓がある。境内の毘沙門堂にある毘沙門天は、大内義興の念持仏といわれて堂内には義興の霊牌がまつられている。」
白砂がまぶしい境内、左手に庭園があります

瓦を縦に埋めて波に見せています

西側

上部

奥から