築山跡
2011.06.12
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山口市上竪小路
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史跡(大内氏遺跡附凌雲寺跡) 築山跡
「ここは大内氏二八代教弘が15世紀中頃に築いたといわれる築山館跡です。築山館は、教弘以後歴代当主の居館となったところです。中世の連歌師宗祇は“池はうみこずゑは夏の深山かな”と詠んでおり、この句からかって豪華であった庭の様子が忍ばれます。
築山館は大内氏滅亡後朽廃しましたが、園池の跡は残っていたといわれています。しかし、この池も江戸時代中頃周囲の築地の土をもって埋めてしまい、現在のようになったといわれています。
江戸時代末の絵図によると築地の外面は自然石の石垣であったことが伝えらています。
現在指定地内の北西隅に、かぎの手に土塁(築地)が残っていますが往時の館の規模を示す遺構として重要です。
また、指定地内には八坂神社(本殿が国指定重要文化財)と築山神社があります。」
管理団体山ロ市 |
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山口市は1年8ヶ月ぶりの訪問、ついでに築山跡を訪れました
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築山神社は荒れ果てていました
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国指定 重要文化財
八坂神社本殿
「本社は、今から六〇〇余年前に大内弘世が京都から勧請したもので素戔嗚尊・稲田姫命・手名槌命・足名槌命を祭神としている
はじめ社殿は上堅小路に建立されたが、さらに水の上に鹿社地がかえられた。その後永正十六年(1519)に大内義興が大神宮を高峰山麓に建立したとき、本社もその地に移し社殿を新築した。江戸時代の末期毛利氏は社殿をこの地に移したが本殿は永正年間に建立されたままのものである。
本殿は三間社流造りで、屋根は檜皮葺である。本殿の周囲に配されている、十三個の変化に富んだ蟇股は、珍稀な図柄とともに室町時代の特色をよくあらわしている。
本社の祭礼は七月ニ〇日の夜から七日間にわたって行われるが、古来山口の祇園祭として有名である。大内氏の時代から伝わっている神事“鷺の舞”(山口県指定無形文化財、昭和48.10.19指定)も、この祭りのとき奉納される。」
山口県教育委員会
山口市教育委員会 |
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東側の八坂神社
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拝殿前の狛犬
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拝殿
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| 本殿 |