常栄寺 雪舟庭園

2007.01.03

山口市宮野下

橋長:2.2m
橋幅:2.9m
桁7列
単径間桁橋




雪舟庭園
「常栄寺の後庭“雪舟庭園”はもと妙喜寺の庭園であった。
 妙喜寺は、曹洞宗、山号楞伽山、本尊千手観世音菩薩。開基大内教弘、開山大功円忠、康正元年の創建になる。教弘の室即ち正弘の母である妙喜寺殿宗岡妙正大姉の墓所がある。本寺は、一説に正弘の別荘であったともいわれている。
 庭園は正弘が雪舟等揚に命じて造らせたものと伝えられている。本堂に北面し、池泉回遊式庭園で、東西北の三方を林地で囲んだ小谷地に築造され、東北の隅に渓頭滝を懸け、前に無染池(心字池)を設けて周囲に仮山を築き、無数の庭石を配置した構匠は甚だ風韻に富み、立石の手法も独特で、まさに室町時代特有の枯山水石庭の典型的なものであるといえる。いくらか改築の跡がみられるが大部分はよく築庭当時の態を保存し、稀に見る名園と称して差支えない。
 庭石は一ノ坂川天花から運んだと伝えられ、その配置は五行石の様式により、霊象石・心体石・体胴石・寄脚石・枝形石の二石三石あるいは五石をたくみに組みあわせてある。心字池の北側上方には小高い丘陵を控え、弁天池および四明池を築いて水源・背景としている。
 また正面の石組みは、三山五嶽になぞらえており、雪舟が明の風景から得た構図ともいわれ、また富士山をかたどる行組みなど蓬莱山水様式も取り入れられており、その構匠は京都の金閣・銀閣のそれと軌を一にするものであるが、池泉の地割りや庭石の配置には雪舟独自の手法がみられ、間接的文献資料の存在などからして、雪舟山口在住20年間のある時期の作庭とみて差支えないものといえよう。
 庭中の小景勝として五渡渓、洗耳渓・無染池・孤舟石・激月亭等があり、また背景として第一峰最崇岡、第二峰三呼嶺、その他帰雲峰、毘沙門峰、馬耳峰等およそ三十六峰を称し、これを唐の嵩山の勝に擬し、漢武の故事を引いて嶺頭の松を万才松と名づけた(この松は幕末に枯死した)。庭の眺めは四季を選ばないが、五月新緑の候を最もよしとする。
 雪舟庭園はのちに妙寿寺有となり、次いで、潮音寺を経て常栄寺有となったものである。大正15年2月24日内務省告示第19号をもって史跡および名勝に指定されたが、当時の園地一町五反七畝余り(15,636u)に加えて、昭和37年11月10日文化財保護委員会告示第51号をもって、26,861uに追加指定された。
 雪舟像画は、雲谷等益筆大徳玉舟賛になるものが常栄寺に伝えられている。なお、嘉村磯多の作品で昭和初期頃の作に「故郷に帰りゆくこころ」および「再び故郷にかえりゆくこころ」はこの雪舟庭を扱ったもので、これに因んで磯多文学碑が鐘楼門前に戦後(昭和32年11月)建設された。また、同じく戦後昭和44年3月末本堂南面に重森三玲によって石庭(南溟庭)が築かれているが、三玲は雪舟庭を評して日本の多くの枯山水石組中の傑出したものであるといっている。」

香山 雪舟庭 常栄寺