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南方八幡宮参道橋
2009.09.12

宇部市西岐波

橋長:1.1m
橋幅:4.2m
桁8列
単径間円弧桁橋




南方八幡宮 由緒
「孝謙天皇平勝宝三年厚東武綱公豊前国宇佐八幡宮の御分霊を迎え社を建て賀保荘(現在の佳山より西岐波迄)の守り神としておまつりした、初めは古尾(東岐波)に奉斎したが天福元年大内十五世多々良弘貞朝臣の時南北に分ち南は吉沢に社を建て南の宮とし、北には須田村に分ちて北の宿とした。その後、応永十五年祝融の災いに罹り、大内左京太夫盛見朝臣の命を奉じ再建神殿、幣殿、舞殿、若宮まで造営を終えた。しかし、楼門尚欠けたのを遺憾とし、永禄十二年造営を始め元亀二年に完成した。爾来年月を経て応長十年頃社頭廃頽頻年疫病流行し、五穀熟せず村人大いに恐怖し、社殿造修の事、国庁に謀り寛永十四年復旧を終えた。現在の社殿概ね其の当時の建築である。楼門は享保五年(宝暦年中とも云う)の再建と伝えられている。本宮は昔、南北分社以来、永年岐波村一円の氏神であったが明治の中ごろ岐波村二ヶ村に分離し現在は西岐波地区の氏神である。」
宮司 宮崎直祐
鳥居前にへばりつくような参道橋

側面

親柱、読めません

鳥居側から