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高松八幡宮参道橋
2008.04.27
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熊毛郡田布施町大字麻郷
橋長:1.9m
橋幅:4.3m
単径間円弧桁橋
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高松八幡宮 由緒・沿革
「八幡信仰の隆盛に多大な影響を与え、俗に“八幡、京に上る”と云われ、国家鎮護の社として、京都・石清水八幡宮が創祀された二十六年後、五十八代光孝夫皇仁和三年(887)八幡宮の本宮である宇佐神官 (豊前国一ノ宮)よりご勧請された。
以来、国主尊崇の社として、後上御門天皇文明十七年(1485)に、大内政弘公より神殿幣殿・回廊等が寄進された。
江戸期に入り、享保年間より明治初年まで上関宰判(郡)の勘場(郡役所)が当地米出にあったこともあり宰判内(郡内)の祈願所として、五穀豊穣・祈雨止雨・武運長久等の祈願祭を執行し、代官、庄屋等の参拝が度重なり、霊妙なる御神徳が崇められた。
明治六年九月郷杜(社格)に列せられ、明治二十二年本殿が再建され、大正十三年に幣殿・拝殿等が現在の姿に再建された。
当宮は、創建以来、麻郷・麻里府・伊保木三村の総鎮守・氏神社として崇敬されてきたが、寛政八年(1796)に伊保木村は当宮より御分霊を勧請し、磯辺八幡宮を創祀したことにより、その後麻郷・麻里府両村の氏神社として父祖代々崇拝され今日に至っている。 例祭は九月二十三日(秋分ノ日)に斎行され、多彩な神賑行事が行われ、参詣者で賑わう。
特殊な神事として、旧大晦日の水御試祭(一年間の雨水の量を占う)と節分の五穀試祭(五穀を始め農作物の作柄を占う)があり、霊験あらたかな神事として、古くは近郷近在からの参拝者で賑わったものである。
又、正月から節分までの厄除・年賀祭・常の安産・病気平癒・交通安全祈願祭等の守護神としての祈願が多く産土大神のご神徳と共に篤く信仰されている。
昭和六十二年御鎮座千百年祭が盛大に斎行され、宇佐神宮より幣帛(五色絹)が共進された。
古来、森巌な鎮守の杜が昭和十九年に山口の自然百選となり、平成五年には山口県自然記念物に指定された。」
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一の鳥居の先にあります
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長さは2m足らずですが、地元では太鼓橋と呼ばれているそうです
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側面
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| 奥から |