豊浦山神上寺
2006.07.16

下関市豊田町大字江良




豊浦山神上寺
「神上寺は、文武天皇(697〜707年)のときに、役行者がこの地の徳仙上人と力を併せて開山したのに始まると伝えられ、古来、皇室、藩主の祈願所とされ、「西の高野山」とも言われています。明治維新までは、当寺域に6ヶ寺がありましたが、今は、中の坊だけが残っています。」


神上寺由来記
「神上寺は高野山金剛峰寺派真言宗の名刹で西の高野山と称され朝廷諸将藩主の尊崇厚く幕末まで毛利藩主の保護を受け300石を賜った由緒ある古刹である。今から役1,300年前天智天皇の御代、九州彦山に修行していた役小角が瑞雲の懸る北方の高山を眺めて馳せ来りこの地の徳仙上人と力を合せて開山し、山頂に諸神を招いて祭りこの山を大神山と称した。奈良時代元正天皇の時権現に定められ上中下三所権現の社を建て参詣の道を開いたので邑人の信仰が厚くなった。
 平安時代朱雀天皇の御代に真言天台兼学の沙門唯行上人により、中宮に大御堂を造営されてから日増に繁栄し末寺末院が三千余坊に及んだという。
 天慶の乱に戦勝祈願の勅願あり一条天皇の御代土佐伊予の乱にも御祈願があり1万3千の神々を勧請されたその為この山辺を神原と呼び、大神山を神上山と改められた。
 鎌倉時代の初め、後鳥羽天皇の代建久5年に勅を以て愛染明王をまつり昼夜不退の温坐の供養が行わせられた。
 後醍醐天皇元享二年に堂舎を現在の位置に下ろされた。そこでこの山をこれから下山(後に月山、現在は華山)と呼ぶことになり、寺の名を豊浦山神上寺と改められた。」

仁王門には1対の仁王像