日頼寺(にちらいじ)
「臨済宗。もとは天台宗で小比叡山極楽寺と称し、瑞雲上人の開山と伝えられるが、創建年月日は明らかでない。
これを慶長年間、長府藩初代藩主毛利秀元公が再興し、仏智大照国師を京都京福寺から迎えて臨済宗とし、毛利元就公の菩提を弔う意味で、その法号にちなみ大雲山日頼寺と改称した。
後、明治2年(1869)にいったん廃寺となり、同4年に再興して大雲山常楽寺と改めたが、同22年に再び日頼寺の旧号に復した。
寺宝として、観応2年(1351)の仲哀天皇聖跡地綸旨、足利尊氏、大内義隆、毛利元就、毛利秀元等諸公の古文書など多数を点蔵しており、また、境内地北面にあたる小高い丘の一角には、仲哀天皇殯歛地と伝えられる遺跡がある。
これは、四世紀頃の大和朝廷伝承の一つである熊襲討伐の際に、筑紫の香椎において亡くなられた仲哀天皇のご遺体を、その后の神功皇后がここに仮安置されたというものである。」 |