高杉晋作墓
2008.04.26

下関市吉田1184




高杉晋作墓 国指定記念物(史跡)
「高杉晋催(号・東行)は天保十年(1839)八月二十日、長州藩土高杉小忠太(家禄二百石)の長男として萩城下に生まれました。藩校明倫館に学ぶ一方、松下村塾で吉田松陰に師事。文久二年(1862)には幕府貿易視察団に加わり清国上海に渡り、ヨーロッパの半植民地と化した街を見て大変な衝撃を受けました。
 文久三年六月、下関を外国艦から防備するため奇兵隊を結成。奇兵隊は武士以外でも「志」があれば入隊を許した画期的な軍隊でした。
 元治元年(1864)八月には、四国連合艦隊の下関砲撃事件の戦後処理にあたり、また同年十二月には長府功山寺で挙兵し、藩論を討幕路線に統一しました。さらに、下関開港・薩長同盟締結などを指揮し、長州再征軍を小倉□に撃退しました。
 慶応三年四月十四日、下関で結核のため病没、奇兵隊陣営近くの吉田清水山に埋葬されました。ニ十七年と八ケ月の短い生涯でした。」

山口県教育委員会
下関市教育委員会
高杉晋作の墓

高杉東行先生像