老松神社御由緒
「飛鳥時代の白雉三年(652)の創建。当初は須佐神社と称し、娑婆氏がこれを祀ったと伝える。平安時代の貞観十四年(872)、社前に松の老樹が繁茂するにより老松神社と改称した。三田尻地区の産土神である。承安三年(1173)、筑後守秀助が菅原道真公ほか二柱を配祀し、社殿を改築、社田を寄進した。江戸時代の寛保三年(1743)、大火により罹災、この時の祠官荒瀬信古が御霊代を無事搬出するも、伝来の宝物・祭器・古文書・棟札等を焼失、翌延享元年(1744)再建された。社前の楠木は創建当時すでに大樹であったが、寛保の罹災によって半面に火害を蒙るも枝葉は繁茂し、実に二千有余年を経たる神木である。
明治五年(1872)藩主毛利家の別邸英雲荘から稲荷社を合祀、明治十年(1877)恵美須社を三田尻魚市場より遷座した。境外社の住吉神社は、江戸時代の正徳五年(1715)摂津国住吉神社より堀口の地に勧請された。」 |