内式 石城神社 御旅乃宿 須賀社
由緒
「後朱雀天皇長久元年(1040)塩田の里人によって、出雲国肥河上に鎮座まします須我神社(島根県大原郡大東町須賀)より勧請して、現在地に奉祀し今日に至る
旧号を疫神社といい、素盞鳴尊は厄神・疫神として、大歳神・御年神は穀物守護の神として信仰厚く、大正2年(1913)石城神社が県社に昇格したとき、同社の末社御旅の宮となる。
須賀社の例祭は、9月10、11日に斎行されていたが、昭和46年(1971)より石城神社例大祭(10月7・8日に近い土、日)のとき、併せて斎行している」
内式 石城神社社務所
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