禅昌寺

2006.07.17

山口市下小鯖




山門
「応永3年(1396年)当寺の開創当寺に建立されたものを独住九世門巌禅師の代(1730年)に修造したもので、壮大かつ簡素全国でも珍しい様式である。
 山門上の扁額「亀岳林」は明の高僧心越禅師(徳川光圀公が師事した人)の書である。山門の向って左に聳える山を亀尾峰といい、それにちなんで多くの修行僧のいたこの叢林を亀岳林とよぶ。
 山門丸柱聯の書は「竹密にして流水の過ぐるを妨げず 山高うして豈白雲の飛ぶをさまたげんや」とあり自己への執着を断ちきれば、天地間にさまたげるものは何もないということ。
 参りきて 心澄みゆく禅昌寺 木のま あかるき 玉の水音
(赤松月船)」

亀岳林 法憧山 禅昌寺
「禅昌寺の開創は、室町時代、応永3年(1396)で開山は慶屋定紹禅師、開基は大内義弘公である。
 開創当時は禅昌寺を約80の末寺小庵がとり巻き千人近い修行僧が居て、西の本山西の高野と呼ばれ、一大法城の観を呈していたという。
 大内公が財源としてお寺に3千石の知行を寄進しようと申し出たが、開山禅師は「安定は堕落のもと」と之を固辞して受けず、代りに修行僧が毎年春秋二期、防長二州を托鉢することを申請して特許された。
 それ以後この浄行は幕末までの五百年間続き、広く防長二州の大衆と深くつながり、その力に支えられこのお寺は維持されて来たのである。
 その歴史は、今日に至るも毎年行われる開山忌(7月18・19・20日)における宗旨を越えての多くの参詣者に伝承されている。」