旧湯川家
2009.10.25
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萩市大字川島
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市指定史跡 旧湯川家屋敷
「松本川から樋門を開いて取水し、萩城下新堀川まで水を通す。この水路を昔は大溝といったが、幕末に江向の川端に藍場ができたため、いつの間にか藍場川と
呼ばれるようになった。この水路は城下町への物資の供給路、農業用水として重要な役割を果たしてきた。川沿いに、板囲いの洗い場を造ったり川水を庭の池に
引き入れた古い家も多い。
中でも樋ノ口の湯川家は、萩の古い屋敷の特色を随所に残しており、付近の景観の重要な構成要素の一つをなしている。
建築年代は、家人の話では安政年間といわれている。」
萩市教育委員会
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庭園から
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史跡旧湯川家屋敷について
「旧湯川家屋敷は、藍場川の最上流に位置しています。川沿いに長屋門があり屋敷の中へは、橋を渡って入ります。
主屋(おもや)には、玄関・座敷と茶室などがあります。茶室回りの意匠は特に優れています。
また、この屋敷では、藍場川の水を屋敷内に引き入れて流水式の池水庭園をつくり、池を出た水は家の中に作られた“ハトバ”で家庭用水として使われた後、再び藍場川に戻っていきます。
このように旧湯川家屋敷では、藍場川沿いの民家として典型的な水の利用法を見ることができ、しかもその技術が優秀です。藍場川の歴史を語る風景として非常に価値が高いといえます。
湯川家の建物は、正確にはいつ建てられたのかわかっていませんが、湯川家の古文書の中に、明治3年(1870)に建物を改築した記録が残っていますので、当初の建物は明治以前に建てられたものと考えられます。
湯川家は禄高23石余の武士で、遅くとも明治の初めにはこの建物に居住していたものと思われます。」 |
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内部
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ハトバ
「簡単にいえば、“川沿いに階段を作って、水に近づけるようにしたところ”です。この湯川家屋敷のなかにも、風呂場と台所の2カ所に作られています。道沿いにあったり、屋敷のなかにあったり、屋根があったりなかったりとさまざまですが、藍場川沿いには、今もたくさん残っています。
@庭園
川の水を庭に引き込んで、池を作っています。また、他の水がどこに流れているかに注目してください。
A台所のハトバ
庭園から流れ出た水は、建物の下をくぐって、台所のハトバに出てきます。ここで野菜や茶碗を洗った水はまた藍場川に還っていきます。
B風呂場のハトバ
ここの風呂場のハトバは、外から見ると三角形のでっばりがつき出ていて、雨の日でも濡れずにお風呂の水を汲むことができます。
藍場川
「藍場川は、萩市内を流れる人工の川です。享保2年(1717)に江向まで、元文4年(1739)に新堀川までの用水路として開削されましたが、その後延享元年(1744)に川舟が通航できるように拡張、整備されました。この川の水は、田畑への農業用水や、川舟を使った荷物(たきぎや米)の運搬、家庭用水や防火用水に使われました。
また、江戸時代には“大溝”と呼ばれていたようですが、下流の江向に明和年間(1764−71)に藍場(藍玉座)ができたために、明治以降いつしか“藍場川”と呼ばれるようになりました。」 |
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庭園
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台所のハトバ
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| 藍場川に還ります |