笠松神社
2016.08.06

萩市須佐




笠松神社
「益田家33代親施を祀る。親施は毛利藩筆頭家老として、幕末国事に奔走したが、禁門の変(京都御所の警備をめぐる争いごと)の責を負うて元治元年(1864)11月徳山惣持院で切腹、32才で生涯を閉じた。須佐では旧臣によって笠松神社を建立し、高正大神として祀った。境内の鳥居と灯籠に元治3年、4年(元治年号は2年しかない)の刻銘は主君の悲憤を想い、徳川慶喜に応ずる意を想わせる『慶応』の年号を認めぬ反骨精神の現れで、全国にも類例のないものである。
 昭和57年益田家初代国兼以下36代兼施まで配祀。鳥居は昭和52年9月、灯寵は昭和51年12月に須佐町文化財に指定された。」
県道191号線沿いの笠松神社

鳥居をくぐり

拝殿

本殿と境内社