伊藤博文旧宅
2006.07.16

萩市大字椿東字新道




伊藤博文旧宅 国指定史跡
「伊藤博文は周防国熊毛郡束荷村(現在の大和町)の百姓、林十蔵の長男として生れたが、安政元年(1854)14才の時父が家族をつれて萩藩の中間伊藤直右衛門の養子となりこの家に住むことになった。
 博文が17才の時に近くの松下村塾に通って吉田松陰の教えをうけた。のち尊攘運動の志士として各地において活躍し、明治元年28才で新政府に出仕するまで14年間ここを生活の本拠とした。
 博文は参議を経たのち初代の内閣総理大臣、枢密院議長韓国統監となった。
 内閣を組織すること四次、明治の元勲といわれ政府の最高指導者となったが明治42年69才でハルピン駅頭で凶弾に倒れた。旧宅は茅葺き平屋建(7室、建築面積89.52u)で風呂場と便所とが屋外にある農村にあった典型的な下級武士の住宅である。」

萩市教育委員会