恵美須ヶ鼻造船所跡
「遺構の概要
日本の造船における産業化初期の時代の貴重な遺産
日本が、幕末からわずか半世紀あまりで造船における急速な産業化を成し遂げたことは、世界史的意義を有しています。
19世紀半ばまで、日本船舶は非常に小さいものでした。嘉永6(1853)年にペリーが来航し、幕府は西洋の脅威から日本を守るために大船建造の禁を解き、大船の建造を目指しました。
大船の洋式軍艦のうち、木造帆船であれば日本の在来技術で対応可能だったため、幕府や萩藩、薩摩藩などが洋式木造帆走軍艦を建造しました。
その後、本格的な西洋からの技術移転により、蒸気船や鋼船が建造され、20世紀初頭には世界のどの国にも劣らない技術水準に到達しました。
恵美須ヶ鼻造船所跡は、急速な産業化における最初期の造船所の遺構です。
国内で唯一確認きれた洋式木造帆船の造船所跡
安政3(1856)年に書かれた造船所絵図(建物配置計画図)によると、造船所は防波堤から恵美須社を含めた北東側に位置しており、この絵図等に基づいて平成21・22・24(2009・2010・2012)年度に発掘調査を行った結果、右図のように遺構を確認しました。幕末に洋式木造帆船を建造した造船所としては、国内で唯一遺構が確認された場所です。
萩市では、今後更に発掘調査を行い、その結果に基づいて保存整備を行います。」 |