旧厚狭毛利家萩屋敷長屋
2009.10.24

萩市大字堀内




旧厚狭毛利家萩屋敷長屋
「厚狭毛利家は、毛利元就の五男の跡を継いだ八男元康を始祖とする毛利氏の一門です。総石高8371石余のうち、主として厚狭(現在、山口県山陽小野田市)に知行地を持ち、ここに居館を構えていたので、厚狭毛利と呼ばれました。
 厚狭毛利家萩上屋敷は、萩城の二の丸南門の南100メートルの要地にあり、面積約1万5500平方メートル(約4700坪)の広大なものでした。屋敷地の中にあった主屋や庭園などは、明治維新前後に解体されてこの長屋のみが残っています。
 この長屋は昭和41年(1966年)6月に国の重要文化財に指定され、翌42年7月から解体修理に着手し、43年11月に完成しました。解体修理の際に発見された附棟札から、長屋は10代元数(のち元美)の代、安政3年(1856)5月に建てられたことがわかります。用材はすべて領地の厚狭で調達され、切り込みを施したうえ記号と番号をつけて、海路萩まで送ってきたといわれています。
 建物規模は桁行51.5メートル、梁間5.0メートルと長大な構造で、現在萩市内に残っている武家屋敷長屋の中で最も大きく、屋根は入母屋造り本瓦葺きで、出格子5か所、格子窓6か所を設けています。内部は東の座敷(部屋数10)、中の座敷(部屋数6)、物置(土間、二階造り)、西の座敷(部屋数3)および板の間の5つのブロックに分かれています。各座敷は、厚狭毛利家の家臣たちの詰所になっていたものと思われます。また、西の端にある板の間は中間部屋で、昭和43年の解体修理の際に復元しました。
 萩市内には、武家屋敷の長屋や長屋門がいくつか残っていますが、いずれも江戸時代末期のものです。その中でも、この長屋は建築年代のはっきりした貴重なものです。
 また入り口の門は、修復に際して新しく作ったもので、当時は土塀が続いていたものと考えられます。」
文字通り、長屋です

西側