法華経寺

2012.06.09

市川市中山2丁目10




日蓮宗大本山法華経寺
「正中山法華経寺は、祖師日蓮の足跡がみとめられる日蓮宗の霊跡寺院・大本山です。
 中世、この地は八幡荘谷中郷と呼ばれ、下総国守護千葉氏の被官ある富木常忍と太田乗明が館を構えていました。彼らは曽谷郷の曽谷氏とともに、日蓮に帰依してその有カな檀越となりました。時に鎌倉時代の中期、建長年間(1249〜55)頃のことです。
 彼らの館には持仏堂が建立され、のちにそれが寺院となったのが法華経寺の濫觴です。若宮の富木氏の館は法華寺、中山の太田氏の館は本妙寺となり、当初は両寺が並びたって一寺を構成していました。この領寺が合体して法華経寺を名乗るのは、戦国時代の天文十四年(1545)以後のことです。
 富木常忍は出家して日常と名乗り、法華経寺の初代貫首となり、二代目は太田乗明の子日高が継ぎました。そして千葉胤貞の幽子である日祐が第三代貫首となったか鎌倉末期から南北朝期ごろ、法華経寺は隆盛の時代を迎えます。千葉胤貞は当時、守獲ではありませんでしたが、千葉氏の有カな一派として威をはり、下総・肥前などの土地を寄進して、日祐の後押しをしています。日祐は胤貞の亡父宗胤の遺骨を安置し、名実ともに法華経寺を胤貞流千葉氏の氏寺とし、その後の法華経寺の基礎をつくりました。その後、室町時代をへて江戸時代に至ると、ひろく庶民にまで信仰される寺院となります。
 法華経寺には、祖師日蓮の書いた『立正安国論』『観心本尊抄』の国宝や重要文化財をはじめとして多数の聖教(仏典)類が保管されています。これは千葉氏のもとで文筆官僚の任にあたっていた日常が熱心に整理保存に意をそそいで以来、寺内の宝蔵や坊で厳重に保管されてきた結果です。現在は境内の奥の堅牢な聖教殿で保管されており、その伝統はいまも確かに受け継がれています。
 また、日蓮自筆の聖教の裏からは、鎌倉時代の古文書が発見されました。これを紙背文書と言います。これは富木常忍が提供した千葉氏関係の事務書類を、裏返して著作の料紙として日蓮が使用した結果、偶然のこされたもので、歴史に残りにくい人身売買や借金の実態など、当時の東国社会の生々しい現実を知る貴重な資料となっています。
 寺内にはその他、重要文化財の法華堂・祖師堂をはじめとする堂宇、絵画や古記録・古文書などの数々の文化財があります。また周辺には日蓮が鎌倉にむけて船出したという二子浦(現船橋市二子周辺)の伝説など、日蓮にまつわる伝説も豊富に残されています。
 これらにより大本山としてはもちろん、さながら文化財の宝庫として、法華経寺の名は全国に知られています。」

平成十年十二月
市川市教育委員会
二日目はここからスタート、うっかりして船橋駅からタクシーに乗りました
山門(赤門・仁王門)をくぐり参道を進みます

法華経寺五重塔 重要文化財
「建築年代 元和八年(1622)
構造形式 三間五重塔婆 瓦棒銅板葺
 この五重塔は本何弥光室が両親の菩提を弔うために、加賀藩主前田利光公の援助を受けて建立したものです。塔の総高は九八尺(約30m)で近世のの五重塔としては標準的な規模となり、東京都大田区池上にある本門寺の五重塔(重要文化財)や台東区上野の寛永寺五重塔(重要文化財)とほぼ同じですが、他のものと比較すると軒の出が少ないので細長い感じを受けます。
 建築様式は和様を主体として造られていますが、最上重のみは禅宗様になっています。これは明治四十五年に半解体修理が施された際に変更されたものとみられます。また、初重の正面は両開きの桟唐戸、両脇には窓枠に等間隔に格子をはめ込んだ連子窓を取り付けた伝統的な形式を守っています。
 塔の内部には中心に心柱、その外側には四天柱と呼ばれる四本の柱を立て、さらに禅宗様須弥壇(仏像を安置する壇)を置き、木造釈迦如来・多宝如来坐像(県指定文化財)を祀っています。四天柱をはじめとして内部は極彩色や朱漆で塗られ荘厳にされています。
 昭和五十五年に修理が行われて外部に弁柄塗りが施されました。」

平成十一年三月
市川市教育委員会


法華経寺祖師堂 重要文化財
「祖師堂は宗祖日蓮聖人をお祀りするお堂で、最初は鎌倉時代の正中二年(1325)に上棟した小規模な五間堂でした。その後、焼失などのため数回の再建があり、現在の祖師堂は江戸時代中期の延宝六年(1678)に上棟されたものです。
 建物は大規模な七間堂で、屋根を二つ並べたような比翼入母屋造の形式を持つのが特徴です。このお堂の他に比翼入母屋造の屋根を待つのは全国でも岡山県にある吉備津神社本殿(国宝)だけです。堂内は、正面の吹き放し外陣、内部の広い内陣、それに両脇の脇陣と背面の後陣に区切られています。
 内外陣境の上部には揚格子、下方には結界と呼ばれる取り外し可能な仕切りを入れ、また内脇陣境にも同様な結界がありますが、大きな行事の際には、これらを開け放って堂内を広く使うことができるように工夫されています。
 これらは日蓮宗の仏堂によく見られる特有の形式です。内陣は本来板敷きですが、現在は畳を敷詰めてあります。天井は格縁天井といい、碁盤目状の縁の部分は黒漆塗りで、天井板には桔梗紋が描かれているほか、内陣周りの上部は極彩色塗りで荘厳にされています。
 祖師堂は関東地方では数少ない大型日蓮宗仏堂の典型で、その規模や形式は当時の庶民信仰の動向を知る上での一指標として位置付けられるとともに、建立年代が明確な建建物としても重要です。
 昭和六十二年から始まった解体修理は十年の歳月を費やして平成九年に完了し、建立当初の姿に復原されました。」

平成十一年三月
市川市教育委員会
雨足が強まりました

東側