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西教寺宗祖大師殿前橋
2008.11.23
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大津市坂本5丁目
橋長:0.5m
橋幅:4.5m
単径間桁橋
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西教寺
「西教寺は、聖徳太子が、仏法の師である慧慈・慈聴のために開創された寺で、推古天皇の二十六年(618)に大窪山の号をたまわり、天智天皇の八年(669)に西教寺の号を下賜されたと伝えられている。
寺記には天台座主慈恵大師良源大僧正・恵心僧都が念仏道場とした。その後、比叡山で修行された真盛上人が文明十八年(1486)入寺し、不断念仏の根本道場として、西教寺を再興された。
明治十一年(1878)明治政府によって別派独立が公許、『天台宗真盛派』の本山となった。
昭和十六年(1941)に天台三派合同となったが、終戦とともに、昭和二十一年(1946)に天台宗三派、延暦寺(山門)三井寺(寺門)西教寺(盛門)が分離、天台宗真盛派を『天台真盛宗』と公称して独立、今日に至っている。」
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渋滞の国道161号線を避け、ここがかの有名な「穴太衆」を生んだ場所かと思いつつ穴太を通り、ようやく着いたのはこれまた大混雑の日吉大社。神社の駐車場は2時間待ちという。仕方なく、少し離れた観光駐車場へ、しかしここも大行列。しばし待ちましたが、あきらめて西教寺へ向いました。予想通りここも大混雑、北側から回り込みようやく空いたスペースに駐車。北側から回ることにします。
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宗祖大師殿
「天台真盛宗、宗祖圓戒国師慈攝大師真盛上人のお木像をおまつりしているお堂です。
嘉吉三年(1443)伊勢の国一志の郡小倭大仰の里に出生、(現在の三重県一志郡一志町大字大仰)十四才で出家、文明十八年(1486)西教寺へ入寺され、堂塔と教法を再興、十九才から二十年間比叡山中に籠り日課六万辺の称名念仏を修め朝廷、公家、武士、庶民へ持戒と念仏の布教を行い戒称二門不断念仏の根本道場とした。
堂内には昭和天皇より下賜されました『慈攝』の勅額が、かかげられている。」
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宗祖大師殿
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大師殿前に小さな桁橋
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側面
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紅葉がきれいでした |