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西教寺明智光秀の妻煕子の墓前橋
2008.11.23

大津市坂本5丁目

橋長:1.0m
橋幅:0.3m
単径間円弧桁橋





坂本城主・明智光秀の妻
煕子の墓(光秀の子女、玉子嬢・細川ガラシャの母)
「作家の中島道子氏の『明智光秀の妻・煕子』という小説序文に次のように煕子夫人のことが書かれている。
 人生を旅と心得、旅を求めてやまなかった芭蕉は軍旅に敗死した武将への限りない哀惜を詠んでいる。その中で唯一女性に対する句が異彩を放っている。明智光秀の妻である。
 比較的近年まで光秀は逆臣、叛将とのみ言われてきたにもかかわらず封建体制下の江戸時代にあって、光秀の妻を顕彰したのはまさに自由人芭蕉その人であった。明智が妻の句は『奥の細道』の旅の途次、越前(福井県】は丸岡に足を止めた折耳にしたことを後、伊勢の門弟山田又玄の妻に贈ったものである。
  月さびよ 明智が妻の 咄せむ
                    芭蕉
まさにこの一句に人生感があらわれていると云えよう。」
墓所から出て、左側です
煕子(ひろこ)の「煕」の字は実際は「冫」がついています

側面

奥から