3,754
實相院門前橋

2008.09.27

佐賀市大和町大字川上

橋長:0.56m
橋幅:10.5m
単径間桁橋




河上山實相院の由来
「宗旨真言宗、本尊薬師如来当山は今を去る千二百七十年前行基菩薩が和銅五年(712)岩屋山に神宮寺を開基されたのが実相院の始まりである。それから三百八十年後宝治元年(1087)比叡山より円尋僧正が別所一帯を開墾し河上山神護寺実相院を建立した。当時の境域は広漢数十町歩と記してある。寛嘉二年(1230)貞暁法師が勅補座主になった貞暁座主は源頼朝公の四男である。この頃より真言宗となり、実相院を中心に十二坊の塔頭、七堂伽藍等が建立された、その後観応二年(1351)頃河上山神通寺実相院と改称され今日に至っている、従来代々の座主は河上山座主と称して輿止日女神社と共に神事彿事を管領する最高の地位で統率者であった、元亀元年(1570)大友宗麟によって神社仏閣悉く焼きつくされた、龍造寺家の援助により元亀三年(1572)に見事に造営を遂げた。これを機会に別所の地であつった実相院を現在の他に移転した。その後鍋島家の信仰により次第に旧観に復した。嘉永元年から三年に建立された龍造寺家、鍋島家の祈願寺であった。当山に伝わるお経会は円尋僧正が寛治三年(1089)に如法堂を建て毎年四月十日より二十日まで玉体安穏鎮護国家、国土安泰平を祈り、又死者の冥福を祈念されたのが始まりである。今より九〇〇年前よりの伝統の大法要で爾来一度も欠げた事がない。文化財は仁王門を始め数々の文化財を保有する。」
可能性もあります。」
佐賀市教育委員会
実相院の仁王門前

地面にへばりついています


仁王門

佐賀市重要文化財実相院仁王像
「河上山神通密寺実相院は真言宗御室派の寺院で寛治三年(1089)河上(與止日女)神社社僧円尋が神宮寺(神社付属の寺院)を建立したのが神通密寺の始まりで河上神社の座主(寺社の法務を統轄する管主の公称)を勤めました。
神通密寺実相院は河上一山の代表寺院で、室町時代には最も有力な勢力をもち今日に至っています。
仁王門は三間一尺の八脚門で、正面の額の裏に寛永二十年(1643)の年号があり、この頃の建物と考えられます。江戸時代前半の建造物は県下でも数少なく大変貴重なものです。
 仁王像はヒノキ材の寄木造り、玉眼、彩色の像で高さは約260センチの巨像です。長い風雪のうちに腕や天衣が落ちていましたが、多くの方々の浄財によって、平成八年五月までにみごとに修復され、昔の威厳を取り戻しました。古文書や今回の修復から江戸時代初頭に京都の仏師によって造られたことが推定できます。クス材の台座から江戸時代前半の寛永二十年(1643)の年号が発見されましたが、像とは木材が異なり、像の出来に対して台座が簡略なことから、仁王像の造られた年代はやや古くなる可能性もあります。」

佐賀市教育委員会