石井樋(いしいび)
「石井樋とは本来、石の井堰(石で造られた樋門)という意味ですが、ここでは大井手、二の井手、象の鼻、天狗の鼻、荒籠、亀石等も含めた全ての施設を“石井樋”と呼んでいます。
この石井樋は嘉瀬川の水を多布施川に導水するための施設であり、江戸時代初期佐賀藩の武士成富兵庫茂安により、12ケ年の歳月をかけて構築されたもので、以後300年以上佐賀の城下町とそのまわりの水田を潤してきました。
左の絵は昭和初期の石井樋の風景を描いた“光安福造”の作品で現在は佐賀市民会館に、展示してあるものです。」
平成7年3月
「佐賀城下に必要な量の水を多布施川に取りこみます。
この井樋は一定量の水を安定して取水できるように3本の井樋で造られています。また、洪水の時などに大量の水が多布施川に流れこまない構造になっています。井樋とは川と川の接点に設けられた水の出入口のことです。」 |