石井樋公園
2010.01.23
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佐賀市大和町大字尼寺
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石井樋
「石井樋は、佐賀城下に生活用水と農業用水を供給するため、成富兵庫茂安により江戸時代初めに造られました。
主な施設には、大井手堰、象の鼻、天狗の鼻、出鼻、石井樋(多布施川に取水する井樋を指しています)、二ノ井手堰などがあり、兵庫の時代に造られた石積みも残っています。」
「石井樋とは本来、石の井堰(石で造られた樋門)という意味ですが、ここでは大井手、二の井手、象の鼻、天狗の鼻、荒籠、亀石等も含めた全ての施設を“石井樋”と呼んでいます。
この石井樋は嘉瀬川の水を多布施川に導水するための施設であり、江戸時代初期佐賀藩の武士成富兵庫茂安により、12ケ年の歳月をかけて構築されたもので、以後300年以上佐賀の城下町とそのまわりの水田を潤してきました。
左の絵は昭和初期の石井樋の風景を描いた“光安福造”の作品で現在は佐賀市民会館に、展示してあるものです。」
平成7年3月
石井樋の水システム
「流れを弱めて土砂を沈めきれいな水を石井樋に導きます。
嘉瀬川の水を大井手堰でせき止め、象の鼻と天狗の鼻の間の水路に導きます。この水は後に続く石井樋を通って佐賀城下へと流れていきます。前方の右手奥には、洪水時に内土居(川の中の遊水池に水をためる堤防)の野越から越えた水を一時的にためる遊水池や、本土居(嘉瀬川の本堤防)や内土居にあたる水の勢いを弱める竹林などもあります。」
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石井樋(いしいび)公園を訪れました
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象の鼻と天狗の鼻
「奥が象の鼻で手前が天狗の鼻です。それぞれの名前はその形からつけられたといわれています。
大井出堰でせき止められた水を、象の鼻と天狗の鼻の間を通して緩やかな流れにし、土砂を沈める工夫がされています。
洪水時には、象の鼻の根元の低い部分“野越”を越えて嘉瀬川の水が流れ込みます。」
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大井手堰
「嘉瀬川の水をせき止め、多布施川に導きます。
手前の地面に見える石積みは、江戸時代初期に造られた大井手堰の一部です。
奥に見える大井手堰は昔の堰を参考に石やコンクリートで新たに造ったものです。」 |