長崎街道嬉野宿本陣跡
「本山は禅宗臨済南禅寺派に属し応安二年(1369)時の領主嬉野氏、本寺を創建、相州鎌倉巨福山建長寺住職、石室善玖禅師によって開山、領内に十七の末庵を建立したが現在は東林庵(湯野田)、慈眼庵(上不動)の二庵が残るのみである。
長崎街道嬉野宿には藩営の上使屋があったが手狭で破損もひどかったので、嬉野家没後は蓮池藩の保護を受け、明和二年(1765)から文久二年(1862)の九十八年間は長崎街道を往来する奉行の嬉野宿本陣として使用された。今も地蔵堂には当時を物語る藩の紋章が入った瓦が残っている。
境内は四段に整備され、楼門を入れば老樹うっそうたる中、千古の歴史を秘めた寺堂に往時の隆盛が偲ばれる。
本尊は木造の薬師如来で雲慶の作と伝えられている。」 |