史跡 長崎街道「平野渡」跡
「江戸時代、長崎街道は我国唯一の外国との窓口でありました。長崎警固の諸大名や長崎奉行、オランダ商館長をはじめ主要な人物や旅人など多くの人々の往来がありました。
街道には多くの難所がありここ“平野渡”もその難所の一つでした。川幅は僅か五、六間の飛石渡りの小川でありましたが、雨が降れば増水した水が岸を噛み、渡河に難航し、たびたび地元不動山地区の農民が応援に駆り出されたといわれています。
なお、蓮池藩請役所日記によると、ここには大名等の篭立場、通行の人馬の休憩所や茶店等数軒があり、かなり繁栄していたといわれています。」
嬉野市教育委員会 |