名護屋城跡と文禄・慶長の役
「今から約400年前、全国統一を果たした豊臣秀吉は、朝鮮半島と中国大陸をも侵略しようとして1592年〜1598年にかけて文禄・慶長の役を起こしました。この時、秀吉が配下の諸大名に命じて出兵基地として築かせたのが名護屋城です。総面積約17万uに及ぶこの巨城と各地から参集した大名の陣屋の跡は、“名護屋城跡並びに陣跡”として、国の特別史跡に指定されています。
特別史跡“名護屋城跡並びに陣跡”は安土桃山時代の文化、建築、生活などを知る子とのできる貴重な文化財であると共に、日本と東アジアの国々との不幸な出来事を語り伝える歴史の証人でもあります。
当時では大阪城につぐ規模をもっていた名護屋城の構えは基本的に三段の渦郭式といえるもので、天主台のある本丸を中心に二ノ丸、三ノ丸、弾正丸、東出丸を置き、北方下段には遊撃丸、水手曲輪、さらにその下段に山里丸と台所丸を配置しています。門は、大手口ほか5ヶ所あり、北面には通称鯱鉾池といわれる堀もわたしています。」
平成6年3月
佐賀県立名護屋城博物館 |