多久神社
「元亀元年(1570)龍造寺長信は梶峯城に入城。嫡子安順から多久姓に改めて、その子孫は明治初年まで多久を領有しました。
弘化元年(1844)11代領主茂族は、長信の居住した通称天理様御屋敷と呼ばれるこの地に、先祖への報恩と子孫の繁栄を願い、始祖龍造寺家兼と長信、多久安順を祭神として、梶峯神社を創建し、宗廟としました。明治18年に茂族、大正5年に4代茂文を合祀。昭和26年、西南の役以後の戦没者を加えて、多久神社と改めました。
拝殿の絵馬のうち“松浦捕鯨図”は生業記録として貴重です。
境内には、三条実美の表題、鶴田斗南の撰文、中林梧竹の筆による“従五位多久茂族碑”や、儒者で教育者の草場船山の詩文を刻んだ手水鉢があります。
広場南側には、明治刑法の草案者鶴田斗南の碑や、佐野常民表題による多久安典の碑などもあります。」
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