末広橋(旧中修寺橋)復元工事
記念碑
碑文
「江戸時代(1603〜1876)に首都の江戸から長崎に通じる長崎街道が当地の大山路部落を通っていた。その唯一の史跡がこの末広橋である。
長崎街道は小倉から長崎まで五十七里、三十三宿の道程である。
享保二年(1717)までは、江北町、橋町、嬉野町、彼杵を通り長崎に行くコースが一番利用者が多い本かいどうであったが享保二年からは、江北町、北方町、武雄町、大山路、嬉野町、彼杵を通って長崎というコースが本街道となったのである。当時唯一の開港地の長崎に向けて、長崎から江戸に向けての往来者は計り知れない。
我が大山路の住民は、時には街道のロマンにひたり、時には歴史をつくった先人に想いを馳せるよすがとして、この橋を復元建立したのである。
平成八年十一月吉日
特別寄贈者 一金壱百万円也
石川又一殿」
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