長崎街道と越川橋
「長崎街道は、福岡県門司港を起点に佐賀を経て長崎を結ぶ57里(228Km)の街道で、途中に25の宿場があったとされています。佐賀県内では現在の国道34号線とほぼ並行に走っていますが、初期のルートは武雄を通らずに、小田−鳴瀬−塩田−嬉野に抜ける南廻りになっていたようです。
ところが塩田川のたびたびの洪水による交通の途絶えがあり、1700年頃武雄経由の北廻りにルート変更されたと伝えられています。
長崎街道は、このメインルートのほかいくつかのサブルートがあり、例えば小田−辺田深浦−鹿島−多良岳を越えて諫早から長崎へ入るルート、また、神埼−境原からメインルートをはずれて南下し、有明海を斜めに横切って、諫早に直行する最短コースもあったとされています。
越川橋は、北廻りにルート変更された時点で六角川に無けられた石橋といわれ、一説によると享保年間(1716年頃)に設置されたと伝えられています。
橋は全長15.5m、幅3.0mで、礎石・橋脚・受け桁・桁・床版により構成されています。床版は88枚の板石の組み合わせ、橋脚は高さ4m前後の角石12本が使用されており、各部材のつなぎには鉄製のH形、Z形の特殊な楔を用いて堅固に組み立てられています。 長年の風雪、たび重なる水害にも耐え現在に至っており、往時の架橋技術の高さがうかがえます。
長崎自動車道は、川登サービスエリア付近で旧永崎街道と最も接近しており、新長崎街道とも呼べる高速道路です。越川橋は現在使用されていないため、武雄市の協力を得て、高速道路の宿場町ともいえる、ここ川登サービスエリアに移設し保存することにまりました。」
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