3,013 秀津八坂神社参道橋
2007.10.07
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杵島郡白石町大字福田 秀津
橋長:2.6m
橋幅:4.5m
単径間円弧桁橋
架設:昭和8年
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八坂神社由緒記
「当社は元郷社で、肥前三大祇園の一つとして当地方一円の広い信仰圏を持ち、春夏の祭りの賑わいは県下に有名です。
その由来は元来国史現在社として須古の祇園屋敷に祀られていましたが、佐嘉藩初代藩主鍋島勝茂公が慶長17年(皇紀二千二百七十二年)にその居城(ひいで館)の鬼門の方角に勧請奉祀し鎮護の神として尊崇され、数々の援助を賜わり、特に当地一円の奉加を特許し人夫を派遣し山人形を寄進し殿様自ら督励して山車挽きの神事を盛大にされ地区農民を励まされた由です。
御祭神は主神須佐之男命、櫛稲田姫命、摂末社、又寄せ神合祀社に天満宮、山王神、天照皇大神、稲荷神社、諏訪社等があります。
流行病鎮袗の神、安産の神、学業成就、開運、商売繁盛、五穀豊穣、交通安全の守護神として信仰され霊験あらたかです。
祭事は春二月十三日玉替祭(宝剣替祭)、夏七月十三日祇園祭には独特の山浮立の音に合わせ山挽き神事が行われひょうひょう踊りが奉納されその賑わいは天下に有名です。
昭和五十九年白石町当局の都市計画に協力し、旧神殿を三十米西方に移動、改築し境内東方に町道を通し当地の災害防止等の便を計ることとなり、境内整備促進協議会を結成して三ヵ年計画により境内を整備し改築した。昭和六十一年十一月二十七日竣工落成祭を斎行したものである。」
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東側、一の鳥居から
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参道橋と神殿の間には町道が通っています
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側面
擬宝珠や手摺が欠けています
親柱はぐらついていて、そのうち倒れるでしょう
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親柱
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下部 |