陽興寺の慶長二年銘万部塔 白石町重要文化財(建造物)
「(銘 文)
欽奉讀誦大乗妙典一万部施主藤氏慶闇妙意大姉壽位
卍南無大慈大悲千手千眼観世音菩薩
干時慶長二年丁酉十二月吉日所願成就皆令満足敬白
高さは約3.5m安山岩製。『五州二島の太守』と称された戦国大名龍造寺隆信の母慶闇妙意大姉(慶闇尼)が、慶長二年(1597)十二月大慈大悲千手千眼観世音菩薩(千手観音)へ大乗妙典(法華経)を一万部読誦(声を出して読む)させた記念に建てたものである。
もとは、南約三百mの川津川沿いの谷間(陽興寺の末寺清浄寺跡)にあったが、平成六年度の砂防ダム工事に伴う発掘調査の後に現在地に移された。
慶闇尼は龍造寺周家に嫁ぎ、隆信・長信(多久邑祖)を生み、周家が戦死した後の弘治二年(1556)に鍋島清房と再嫁、隆信と鍋島直茂(佐賀藩祖)とを義兄弟とし、龍造寺家の安泰を図った。慶長五年(1600)三月一日、水ケ江(佐賀市)東館で九十二歳の天寿を全うした。
大乗妙典を読誦させた慶長二年十二月は、豊臣秀吉による朝鮮出兵の時期(慶長の役)に当り、龍造寺一門も直茂に統率されて朝鮮に渡海していた。慶闇尼がどのような願いを託したのかは不明であるが、並々ならぬ思いが伝わるようである。」
白石町教育委員会 |