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縫殿池弁財天桁橋
2006.11.18
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杵島郡白石町大字湯崎
橋幅:2.3m
径間:1.5m
単径間桁橋
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縫殿池弁財天と金妙水
「この縫殿池にこんこんと湧き出る清らかな水は、『金妙水』と呼ばれて、古来、住民の飲料水としても、数十町歩の広い稲田や藺草田の用水としても自然の恵みとして大切にされてきました。
この神社の正式名称は、厳島神社ですが、江戸時代は、陽興寺に所属し、弁財天を祭る社とされ、普通『べんじやーさん』と呼ばれて来ました。
明治の初めの神仏分離令により、日本古来の神道の制度に従って、祭神は市杵島姫命とされています。どちらも水の神ですが、市杵島姫命は宗像神ともいわれ、海上安全、水難防止の神です。一方、弁財天はもともとインドの河川の神で学問・智慧・音楽・弁舌などを司る神です。財福の神として七福神のひとりとされています。
厳島神社は、平清盛が信仰した神社として有名ですが、この地方には平家が支配していた荘園(領地)や平清盛の大功田があり、水堂安福寺にはその子重盛の供養塔もありますので、この神社も平清盛と関係があると考えられます。
池の中の放生池の石碑は、文化十年(1813)に建てられています。放生というものは、“生き物を放ち逃す”ことですが、捕えた生き物を放してやる儀式を放生会といい、岩清水八幡宮で行われていた天皇主催の放生会は有名です。ここでも無病長寿や疫病退治などを願って放生会が行われたのでしょう。
放生会は“命を大切に”し、命の尊さを考える所です。
美しい景観をみせていた縫殿池も、昭和三十年の初めに飲料水や農業用水を確保するために地下水を過剰に汲み上げたため、それまで出ていた湧き水が止まり、四十年問の長い間、水の溜まらぬ池となってしまいました。
地下水汲み上げが無くなった平成十三年の四月頃から、厳島神社の周囲から以前のような清らかな水が湧き出て、縫殿池には木々が映える美しい姿が戻ってきました。
古来からこの『金妙水』は遠く嬉野町の轟の滝より山野の地下を通り流
れて来ると言われ、それに乗って轟の滝の龍神さんが厳島神社のお姫様に逢いに来られたという恋物語があります。」 |
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縫殿池(ぬいのいけ)の弁財天前に架かっています
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側面
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下部
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上部
以上 2006.11.18撮影
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3年9ヶ月ぶりの訪問
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側面
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下部
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上部
以上 2010.08.07撮影 |