清涼山 光桂禅寺
「光桂寺は臨済宗(禅宗)妙心寺派に属し、本尊は釈迦牟尼仏である。
当寺は蓮池初代藩主直澄公(正献院殿)の五女で昭圭禅尼が直澄公及び、自分の夫君の菩提をとむらうために、開基となって建立した寺である。直澄公の山荘があった由緒地である。昭圭禅尼は承応三年に佐賀城に生まれ寛文九年に十四才で島原城主松平忠房公の若君で好房公に嫁したが、十六才の時好房公が没した為、剃髪し京都の妙心寺に人り、月山昭圭禅尼と様した。宝永五年建立。清涼山とは夫君清涼院殿の院号にちなむものである。
また開山は洞天大和尚である。
寺宝に昭圭禅尼、直澄公の遺品、自画像等が数点残っている。門前には石造仁王像があり町内では一番古く、平川与四右衛門、陣内善次良の作で陣内の作は佐賀県では一つしかなく貴重な作である。(高さ約二米五十)
境内には地蔵堂があり地蔵菩薩(高さ約二米五十)で安産の守り地蔵として、町内外より、安産祈願の信者が多い。
また鐘楼には大釣鐘があり、高さ約一米、直径七五糎、重さ約七五屯で慶応三年の作。この釣鐘は太平洋戦争の時、金物供出の勧告を受けたが、当時の住職祖伝尼が上京して当局に仏道における鐘の真義を述べ、鐘は人間の心の灯、大臣も未踏の境地を極めよと逆に説き遂に初志を貫き供出しなかったという、有名な日因縁の鐘である。
本堂真には、枯山水の庭園有り。」
平成十年記す
龍眼良徹日 |