2,908
木原日枝神社参道橋

2007.08.25

佐賀市木原1丁目

橋長:2.7m
橋幅:2.8m
桁9列
単径間桁橋
架設:大正4年3月
石工:今泉武一




日枝神社(山王宮)由緒
氏神様(産土神)
私達隻や私達の生活するところをお護り下さっておられます。
その上地を開かれて人人をお護りされますので氏神様(産土神)と申し日夜その御恩恵をいただいております
由緒
「桓武天皇延暦二十三年伝教大師詔を奉し求法入唐に當り風波の安寧求法の円誠を祈らんと江上の地に精舎を建立す。是今の長尾山福満寺なり。業を終えて帰朝し比叡山を建設するや自から山王八王子の神像を模刻し木原武藤の地に泰斎し福満寺鎮護の神とす。是即當神社の起源にして大同元年なり。
其後戦乱の際社殿焼失せしを元亀年中龍造寺氏により再興せられ、慶長年中鍋島直茂・勝茂・柳川陣の節、祈願を籠められ帰陣の上宝殿・拝殿・神門鳥居を造営せらる。爾来藩主の尊崇累代変ることなかりき。」

いよいよ目的地、佐賀市内に入りました
この地の石橋総数は果たして何基になることやら

正面

側面

親柱

下部

上部

日枝神社の楠1株
佐賀市天然記念物
和58年3月1日指定
「“肥前国風土記”の佐嘉郡の条に、“むかし、樟樹一株この村に生いたりき。幹枝秀高く茎葉茂りて、朝日の影には杵島郡の蒲川山をおおい、暮日の影には養父郡の草横山をおおいき。日本武尊、巡り幸しし時、樟の茂り栄えているのを御覧になって、此の国を栄の国というべしとおおせられた。そこで栄郡といいき。後に改めて佐嘉郡と号く。”とあって、佐嘉郡の地名のおこりを伝えている。この風土記の記事によっても、佐賀地方には古くから樟の巨木が栄えていたことを知ることができる。この日枝神社の樟は高さ24メートル、幹回り6メートル、枝張り23メートルで樹齢およそ700年と推定され、佐賀市内の樟の中でも代表的な巨木である。」
佐賀市教育委員会


境内の狛犬